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偶然の一致?

スイープトウショウについて「ただでさえ個性派の少なくなってきた昨今の中央競馬で、そりゃあ確かにゲート入りに時間がかかれば他馬に迷惑をかけてしまうだろうけれど、あの魅力的な豪脚こそスターにふさわしいのでは。このままみすみす失ってしまうのは惜しい」などと書いたら、まるでそれを読んでいたかのごとく、反論が展開された。それも週刊G誌で。うわ。
確かにそうだ。あの気性があの馬を走らせているわけではない。というよりも、あの馬はゲートに入ってさえしまえば暴れてはいないし、そういう面から見てあまり気性が悪いというイメージはない。
そもそもゲートに関して言えば、推論に過ぎないけれど最初に所属した厩舎や、最初にレースを教えたジョッキーに問題があったのではないかと思う。
多分あの馬は賢い。賢いから納得できないことには従わない。それを見抜くことができずに画一的な手段で調教を重ねていったのではないだろうか。
三つ子の魂百まで、じゃないけれど、馬なら余計、刷り込まれたものが強烈に未来を支配することは想像に難くないし、今さら何を言っても始まらないけれど、このまま出走できなくなってしまうのはあまりにも惜しい。
とりあえず、休養先で誰か教えてやってください。あなたはこのままじゃもうレースに出れないんだよ、と。
でもあの馬のことだから「あ、そう」とか言いそう。うーむ。

hanapink


周期的に、みもざへの思いが溢れ出して止まらなくなる。
祭壇、を書棚の一段を利用して作ってあるのだけれど、そこにいろいろ飾られた彼女の写真を眺めたり、彼女を模したオブジェの乗る骨壷に語りかけたり(余談だがこのオーダーメイドの骨壷、あまりに小さすぎて肝心な頭蓋骨が入らなかった。入りきらなかった骨たちはラタンの箱に入れて枕元においてある。何のための骨壷なんだか…)、山のように撮った写真、パソコンの中に取り込んだ画像、リンパへの転移がわかってから慌てて買ったハンディカムで撮影した映像を次から次へと見ては涙して。
ミモザのお香を焚いて、ミモザという名のフルーツワインを飲んで、ただただ彼女を思い出して時間をやり過ごす。
一種の儀式みたいなもので、このプロセスを経てやっと現状に折り合いを付けることができるのだ。
その間、他の猫たちは、と言えばてんでに知らん顔をしていて誰一匹側にこようとはしない。
そしてひとしきり泣いて喚いて、現実に戻った頃、何事もなかったかのように一緒にベッドに入って休む。
ペットロス、という言葉があるけれど、ここまでペットと飼い主との距離感がなくなってしまったらそれどころじゃない。
家族を喪った、恋人を喪った、愛娘を喪った…少なくとも私にとってはそんな感覚なのだ。
この悲しみをどうしたらいいの-まだまだ立ち直ることはできそうにない。
やっぱり時間しか解決してくれないのかもしれないな。

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» 安息日…
エビフライ&ペット・ロスの関係について哲学しちゃいました♪
[Art Grey]
ペット・ロスとエビフライとレッテル貼りについて…哲学しちゃいました♪ [続きを読む]

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