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愛してるでも愛だけでは生きられないから

午前4時頃。
寝ている私の頬に冷たいものが触れる。
「うるるるる」鳴き声というよりは唸り声に近い小さな小さな声。触れたのはこれもまた小さな鼻先。
目覚まし時計は5時半に鳴るようセットしてある。
ちらりと薄目を開けてあと1時間半寝られることを確認すると、私は枕もとのれいあに背を向けるように寝返りを打つ。
「うるにゃ~ん」
微かな鳴き声。多少遠慮して「起こしちゃいけない」とでも思ってるのだろうか。だとしたら、枕元に落ちているそのボールは何?
「うるるるるる」
枕の上を通って私の顔を覗き込む気配。やがて頬がちょんちょんと躊躇いがちにつつかれる。
それでも我慢。一度始めてしまえばボール投げ-投げたボールをれいあが追いかけ、拾ってまた持ってくる-がエンドレスなのは明らかなので。

やがて枕の周りでうろつく鈴の音が聞こえなくなる。
そーっと首だけで後ろに向くと、そこには小さな小さな背中が。
やっと諦めたらしいれいあは私の背に寄り添うように小さく丸まって寝ている。なんてかわいい寝姿。
時間は4時20分。
ゆっくりと寝返りを打ったられいあは、ん、とばかりに薄目を開けたがすぐまた寝入ってしまった。
そのままその柔らかな背を撫でてあげるとゴロゴロ、と喉を鳴らす。
本当に、なんてかわいいんだろう。
その手触りは明らかにみもざのそれとは違う。
みもざの毛並はもっとしっとりとつややかで、少しひんやりしていた。
みもざはもっと肉付きがよくて-首は細く、顔も小さかったけど-撫でても背骨なんか手に感じたことはなかったっけ。
それでも今ここにある確かな温もりは間違いなく私の手の中で生きている。生きているのだ。
薬指で輝くみもざの魂。胸元で揺れるみもざと私の写真が入ったロケットペンダント。
思い出だけでは生きていけない。
現実を生きている私は、生きているれいあと共に、生きていくしかないのだ。

みもざ。
もう少しだけ、私の中にあるあなたの居場所を小さくしてもいいかな。
そうしないと苦しくて苦しくて、いつだって不意に泣き出しそうになる。
あの未曾有の大惨事を目の当たりにしてから不安定な気持ちになっているのは確かだけれど、半年近くなっても悲しみは消えないことも間違いなく事実。

みもざ。
もう私泣きたくない。そして、全てをあなたを失った悲しみのせいにしている弱くてズルイ自分にはもううんざり。

みもざ。
かれんがあなたと私を出会わせてくれたように、きっとあなたがれいあと私を引き合わせてくれたんだと思う。
だってそうじゃなきゃこんなにあなたと共通点のある猫なんかそうそういるはずもないから。
お転婆で、負けん気が強くて、食い意地が張ってて、そして私のことが好きで。

あなたをこの手で抱きしめることができない分、私はれいあを抱きしめる。
あなたを思って涙が溢れそうになったら、れいあのためにボールを投げて一緒に遊ぶ。

みもざ。
愛してるよ。その気持ちは未来永劫変わらない。
だから…

運転士の亡骸が運び出されたとのこと。
列車事故は、全ての乗客が運び出されたことで1つの区切りができました。
これから事故原因の調査がメインになります。
脱線に至るまで複合的な要素があったようですが、JRサイドが執拗に強調していた「置き石」は少なくともなかったようですね。
反対に、JR西日本の体質が浮き彫りになってきました。
私鉄との競合路線ということで乗客へのサービスを優先、その一方で乗務員には苛酷なペナルティを課していたとの報道に背筋が寒くなりました。
乗客へのサービス。
それは安さでも時間の正確さでもなく、まず第一に「安全」ではないのでしょうか。
いつしか日本の企業は利益ばかり追いかけるようになってしまった。もちろんそうでない企業もあるだろうけれど。
この事故は人災です。そして、その責めを負うのは決して運転士だけであってはならないと強く思います。
全てを白日のもとにさらけ出して、JR西日本は抜本的に企業理念から見直していかなければ。
少なくとも公共交通手段としてもっとも信頼されるべきである鉄道は、利潤よりも乗客も安全を優先していただきたい、と願わずにはいられません。

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