未知の領域@親子って
母が、長きに亘って勤めていた会社を今週いっぱいで退社します。
娘から言うのも何ですが、定年を超えてなお慰留されていたほど、仕事もできて社内での信頼も厚かったようです。
そりゃいろいろ不満なところもあったりしますが、大筋で我が母はリスペクトできる人物。おまけに私と似ず美人なのです(ホントに似てない…)。
今はただただお疲れ様でした、と言いたいし、その日に届くようお花でも贈りたいな、と思ってますが…おーい、某身内、乗るかい?
みもざと同じ日に亡くなられた方(Miyukiさん、とおっしゃいます)のブログはそのままご主人と息子さんが継続していかれるようです。
生憎私は母の立場にはないのですが、それでも息子さんのこれから、を見とどけることができない彼女の無念さは漠然とですが理解できます。
母と子、は子が胎児でいる間以上に密な間柄になることは当然のことながらないわけで、私もこの歳になれば正直別個の存在でしかない、と痛感させられる出来事も経験してきました。
それでも「血を分けた」存在。矛盾していますが、身体的な部分や共通する仕草に「ああ、この人他人じゃないんだな」と思うことだって確かにある。
人は死後、魂という形に変化して見えざる存在になりながらも愛しい者の傍にいることができる…のかどうかはわかりません。
でも、傍にいても何一つ手を出すことができないとしたら果たしてそれでも寄り添っていたいと思うだろうか。
そのもどかしさに耐えていられるだろうか。
デカい図体だけど甘ったれの息子猫とみもざ。
この光景ももう二度と見ることができないんだよなあ。去年の秋までは当たり前の時間だったのに。
もしみもざの魂が私の傍にあるのなら、それを感じることのできない自分がもどかしいです。
恐山のイタコとか、ギボアイコさんなどがお持ちになっているような霊能力。これを授けてくれるような研修機関(は?)ってないですかね。
レッズ。
なーにが達也のために、だ。
あーあ…一気に気力が萎えました…今年も無冠決定?
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