ミモザの花の傍で@一周忌
今、朝6時を少し回ったところ。
私は昨年のこの日、この時間何をしていたんだろう。
昨年の今頃の日記を読み返そうと思いましたが、やめました。動揺しない、と断言できないから。
恐らくみもざは苦しくて既に安眠できない状態だったはずです。
この頃は呼吸が困難になっていたので私のベッドに入ってきてもすぐ出てしまう。それの繰り返しだったと記憶しています。
昨日の朝届いたミモザの花はまだ盛りには遠く、せいぜいが四分咲き。しかもきつくまとめられていたためかびまで発生していました。
それでもこの時期に花のついたミモザを入手できたことに安堵。今日は一日をみもざのために過ごすと決めているので洗濯も昨日まとめて済ませ、花を綺麗に生けなおしたり、ミモザケーキを焼いたり、と家の中で地味にその時間を迎えようと思っています。あ、カクテルのボトルも冷やしておかないと。
不思議なものです。
みもざがいなければ生きていけない。確かにあの頃はそう思っていました。それでもこの一年どうにか暮らして来れたし、想像以上に落ち着いた心持で今日を、一周忌を迎えることができました。
それでも、ドラマじゃないですが1リットル以上はここまで涙を流してきたし、実は今でもふとした弾みで彼女を偲んで涙腺の箍が外れてしまうことがあります。
時間が解決してくれることとそうでないことがある。それを思い知らされた1年間だった、とも言えるでしょうね。
最近風雅が私の膝にそっと手をかけ、寄り添うようになりました。
その体勢はみもざも好んでいたそれ、で、目を閉じるとその重みがとても懐かしい。
みもざがいた頃は決してそんな甘え方をしなかった子なのに、その心境の変化ぶりには家人ともども首をかしげてしまいます。
懐かない、というより壁を作ってしまっていたれいあもそれなりに私を慕ってくれてるようです。
朝、アラームを止めて起きようとするとどこからともなく飛んできて、悲鳴のような鳴き声(いつもそんな調子の鳴き方ではあるのですが)を上げながら私の目の前でお腹を見せて甘える。とても愛らしいその仕草に目を細めている私をみもざはどこかから見ているのでしょうか。
…ヤキモチ焼いてないといいけど。
たかが猫、されど、猫。
みもざを喪ってから確かに私の一部は機能しなくなっています。みもざの亡骸を燃え盛る炎の中に投じたとき、一緒に何か、も燃やしてしまったのかもしれません。
その何か、がわからないまま1年は過ぎていき、それでも社会の中でそう悪目立ちすることもなく生きて来れました。
でも、確実にどこかが歪んでいます。その歪がいつか精神のバランスを失わせてしまいそうで何だか怖い。
ペットロス、という言葉では片付かないような気もしています。なぜなら私にとってみもざは「ペット」ではなかったから。大事な人生のパートナーだったから。
それでもその喪失感を現状における様々な躓きの原因にしているズルイ私がいることも事実なので、この今日という日を契機にもう一度客観的に自分を見つめなおしたいと思っています。
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コメント
はじめまして。
競馬のTBをしようときました。
しかし、この記事を見てコメントしようと思いました。
自分の部屋にも猫が2匹います。
去年生まれたばかりの子猫です。
(まだ6ヶ月ぐらいでしょうか)
今、もしこの子達がいなくなったらっと考えると・・・。
お気持ち察します。
自分も7年前、大好きだった犬を亡くしています。
どうか元気を出してください。
みもざちゃんもきっとそう思っているとおもいます。
投稿: あきら | 2006/02/23 02:23
コメントと、励ましの言葉をありがとうございます。
おかげさまで今はかなり元気です。
喪失感は多分一生なくならないと思いますが、
それでも、みもざと過ごした時間は宝物。
あきらさんも子猫ちゃんたちとたくさん宝物作ってくださいね。
競馬のエントリはあまりありませんが、よかったらまた遊びにいらしてください。
展示会の様子は今日と明日でアップします。
投稿: のあち | 2006/02/23 05:59