とりとめのない話・・・なにせ暑いので
毎日更新を楽しみにしているくるねこ大和さんのブログ。
最近多くなった動画を見ていて気がついた。
-この人の声、私の声に似てる。
録音した自分の声、にそっくりなのだ。リアルタイムで自分が聞いている自分の声ではなく、あくまでも何らかのメディアを通して聞いた声。思わず親近感を抱いてしまった。
一度お会いしてみたいけれど・・・ま、そんな機会もなかろう。まるっきり関係ない業界の方だもの。
で、くるねこさんは最近愚連隊員を増員したそうだ。
これがまた、3ヶ月くらい全く懐こうとしなかった元飼い猫の元野良とは思えないほどの甘えん坊男子で、あれを見ていたらやはり猫も牡の方が牝より懐柔しやすいんだな、とつくづく思った。
ここにも度々登場しているが、我が家にも10年来のお付き合い、という野良さんがいる。これがまた全くと言っていいほど懐かない。そう、もちろん牝。
ちょん、と頭だの尻尾だのを何かの拍子に触ろうものなら数十センチは飛び退り、「何しよんねん!」とばかりに威嚇するのだ。可愛げないことこの上なし、だ。
それでも老境に差し掛かり、厳寒の北の大地で野良生活は辛かろう、と家に入れてあげたい気持ちもやまやまなのだが、当の本人にその気がないならどうしようもない。
まあこれが都会だったら交通事故だの虐待だの、と気象条件以外の部分で危険が多いから、田舎でよかったのかな。
捨て猫でもなんでもなく、生粋の野良だしね。
生まれてすぐ保健所に持ち込まれてしまう猫だっているわけだし、そういう意味では10年以上勝手気ままに生きて来られたのは幸せなことだったのかもしれない。
心臓病で猫を亡くした人のブログを、闘病中のパートから読ませてもらっていたのだが、ある日のエントリに驚愕させられた。
経済的に余裕があるお嬢さんらしく、医療費がいくらかかってもいいように、使っていないマンションや別荘を査定にかけた、なんてところまでは羨望しつつも読めていたが、戦慄が走ったのは「保健所から猫を貰い受けて、その猫の心臓を自分の飼い猫に移植したい」と考えていたこと。
つまり、自分の猫のためなら他の猫の命を犠牲にしてもいい、そう思ったわけだ。
・・・そこまでされて、飼い猫ちゃん喜んだだろうか。
幸か不幸か、移植は難しいと医者に言われて諦めたそうだが、怖い、な。
これが猫だから、仮にこの人が移植を現実に行ったとしても多分罪には問われない(と思う)。
でも、もしこの人が子を生して、その子が・・・そう考えたら更に不穏な気分になった。
改正臓器移植法によって、本人の意思が明確に書面で残されていない脳死患者から既に3例、臓器移植が行われている。
最初の方の場合、カードこそ携帯していなかったけれど、生前家族とこのことについて話し合い、臓器提供を希望する旨発言されていたという(ことをコーディネイターが明らかにした)。
だが、後の2例は本人の意思ではなく、家族の意向で臓器提供が決まったそうだ。
「体の一部でも、どこかで生きていてくれたら嬉しい」
2例ともこのような主旨のご発言が公表されているが・・・
臓器移植を待っている患者は多いと聞く。
今回の法改正で、15歳未満の臓器移植が国内で可能になったけれど、以前にも書いたが、子供の場合、脳死後も心臓は動き、成長し続けるケースがある。
移植を待つ小さい命と、体は成長しても、自分の意思を持たない命。
同じ病院に入院していたら、それを互いの親御さんやご親族が知ったら。
日本って、メンタル面でのケアが何事についても遅れているから、特に臓器移植のように利害ではなく感情が支配する「取引」や「交渉」について、かなり仕損じている部分があるのではないだろうか。
ちなみに、私は脳死状態での臓器提供を望まない。これは家人にも話してある。
何故なら、猜疑心が強いので、医師による脳死判定を完全に信用してはいないから。理由になってないか。
何だか話がまとまらないや(いつものこと?)
それもそのはず、現在気温は28℃!
私が涼しくなった、と書くと気温上がるんだもの・・・偶然か?それとも?!
こんな日はとっとと仕事を切り上げてビールでも飲もう。
(給与明細を印刷している合間に書いてます)
今夜は冷麺とイカの煮物。何だかな、なメニューでございます。
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