感想二題
ハードカバーはやっぱり高い。文庫化されるまで待とうと思っていたが、ようやくほとぼりが冷めた(?)のか、図書館にあったから早速借りてきた。
「いちばん長い夜に」(乃南アサ著)
少し前にドラマ化された「いつか陽のあたる場所で」のシリーズ最終巻に当る。
「前科持ち」の女2人が谷根千の人情あふれる街の中、肩寄せ合って生きていく、というコンセプトからは大きく外れたこの作品は、某通販サイトでは評価が真っ二つに分かれていた。
だからこそ、興味はあったのだが、ドラマの所為か人気らしく、なかなか手にできなかったのだ。
何故評価が分かれたか。
それはひとえにあの震災の描き方に尽きると思う。
著者も仰っていたとおり、「何も起きない」つまりささやかな日常が積み重なっていたのが前2作なら、この最終巻はドラスティックでドラマティックな作品であり、文体までどこか違うのは、あとがきを読むことでようやっと理解することができる。
ここからはネタバレになるので、「続きを読む」からどうぞ。
閑話休題。
昨日、日高町の集団お見合い番組(?)を見た。
中には顔を見たことがある人もいたりして、妙に生々しさを感じながら結局2時間、最後まで固唾をのんで見守ってしまった。
これは、以前「沼島の春」とかいったサブタイトルの番組の流れを汲んでいるらしいバラエティで、その時の進行役だった佐藤B作まで出ているという念の入れよう(え?)
でも大きな違いがあって、男24人に女60数人、というアンバランスさや、数人の男女に絞って、その出会いから告白タイムまでを一人ずつ一気に紹介していく、というカップルが成立しやすく且つ視聴者を強く意識した番組の作りになっている。
面白いな、と思ったのは、イケメン四天王と銘打たれた4人の男性のうち二人。
どちらも真剣にヨメを探していて、でもどちらも見た目はそこそこなのに恐らくほとんど女性とは縁がなかったに違いない。如何にも女性に不慣れな感じ。
そんな彼らには数人の女性が群がり、最終的にどちらの男性も2人の女性にターゲットを絞った。
これがまた、示し合わせたように「都会から来た容姿の良い大人の女性」と「それぞれの仕事に対して興味を持つだけでなく即戦力になれる、世間知らずの年下女子」を最後の選択肢として残したのだ。
そして選んだのは・・・どちらのイケメンも即戦力の方。シビアだ。でも堅実で尤もなチョイスではないだろうか。
大自然に憧れる都会の香りのする女性と、すれたところのない、いかにも働き者の女性。
もちろん、選ばれた二人も容姿が決して劣るわけでもないけれど、ツーショットの時の彼らの表情には、その接し方も相まって明らかに違いがあった。
そうだ。農林水産業を生業にするということは、生半可な気持ちではできない。
ましてや生き物相手(片やサラブレッドの生産牧場、片や黒毛和牛と農業)ときたら、ヨメも働き手として期待されないわけがない。
恐らくこの2組のカップルは、ゴールインするだろうと思う。そしてどちらの男性も何かを小さく諦めた―そう考えるのは穿ち過ぎだろうか。
ま、外野がとやかく言うことでもなく、まずはカップルとなられた16組の皆様、おめでとうございます。末永くお幸せに。
で、「いちばん長い夜に」
よもや、著者はあの震災の日に仙台にいて、本の中で芭子とほぼ同じ体験をしていた。
もちろん南くんはいないし(編集者と行動を共にしていたそうだ)、皮肉にもこの本を書くための取材で訪れていたわけで(綾さんの出身が仙台という設定)、その結果、作品にも震災は色濃く影響を与えた。
このことが前段でも書いた書評での賛否両論に繋がるようだ。
ささやかな日常に、これほど不似合で不釣り合いなことはない稀有な災害。
綾香と芭子はそれぞれがそれぞれに影響を受け、二人より添っていたはずの人生が大きくその進む道を分けていく。
私個人の感想を言えば、確かに雰囲気は変わったけれど、実はその気になればいつまでも描いていけそうな二人のお話に結末をつけるという意味では、震災というこれほど大きなエポックはないと思った。
故郷が被災地となり、そこで見聞きした現実によって綾香は己が罪と初めて向き合い、改めて贖罪の気持ちを知る。
何も殺すことはなかったのだ、と。どんな人にもその人が死ねば悲しむ人がいる、と。
そしてその罪をどう贖うか考えた末の行動、というよりは自分の気持ちに突き動かされるままにボランティア活動に励み、そんな綾香の気持ちを知る由もない芭子は置き去りにされる。
何より芭子自身が、「まるでドラマのように」仙台で知り合った南くんとの関係性が深まる中で己の過去について葛藤するようになり、とうとうそれを告げてなお二人が交際を続けることでようやっと幸せを掴もうと動き出していたから、ますます綾香との間には溝が深まって行った。
結局、二人の膠着していた感情は瓦解、和解し、綾香は息子夫婦と孫を喪ったパン職人夫婦と共にパン屋さんを再興させていくという新たな人生を得た。そのパン職人の老夫婦は綾香が告白した彼女自身の罪にも、理解の涙を見せてくれたというのだから、もうその点について彼女が怯えることはない。いずれは老夫婦をその娘のように献身的に介護し、看取るのだろう。漠然とそんなことを考えてしまった。
震災というテーマがなければ綾香が抱く贖罪の気持ちも生まれなかっただろうし、芭子と南くんとの出会いもない。
南くんが弁護士でなかったとしても、交際が進めばいずれは自分の過去を告白せざるを得なかっただろうが、それはもっと先のことになったはずだ。
そして弁護士であったからこそ、綾香のあの「不敵とも思える顔つき」があったわけだし、あの下りがなければ芭子はいつになっても綾香の気持ちは知りえなかっただろうし。
個人的にはほぼ満足の行く終わり方ではあった。何故ほぼ、か。
混乱の仙台で、携帯電話も繋がらない中芭子は、公衆電話の列に並び、やっと順番が巡ってきたら無意識に番号をおしていた。
・・・懐かしい実家の番号。
そして電話先の母は、大丈夫だった?という振り絞るような芭子の問いかけに「大丈夫よ」とだけ返す。そして芭子に向かって「あなたは?」とはとうとう聞かなかった。
ドラマではこの二人、親子としての気持ちを取り戻すのだが、この原作ではそれはなさそうだ。
原作に比べあまりにも脚色が多すぎたドラマには不満も少なからずあった。実際のところ親子の関係修復は蛇足だ、とも思った。
でも、このままこの親子が、というより娘が母に切り捨てられたまま終わるのはあまりに哀しい。
震災で喪われた家族の絆を考えれば、せめて母に「あなたは大丈夫?」と訊ねてほしかった。
二人のその後を見てみたいと思うのは私だけではあるまい。
思い出したように、短編でもいいからどこかで書いてはくれないだろうか。期待しています。
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