・・・タイトルさえ浮かばない
社会人一年生の私にとって、最初の配属先にいた隣席の先輩はいい意味でも悪い意味でも大きな影響を与えてくれる存在だった。
良いことも、悪いことも、聞けば何でも教えてくれたし、その時には私にも交際している人がいたから恋愛感情こそ抱かなかったけれど、それに近い気持ちを持ったことは否定できない。
その時オンエアされていたドラマに自分を重ねあわせ、結局ほんの数か月後に人事異動でいなくなってしまったその先輩には公私ともに相談事を持ちかけては会って食事を共にしたり、時には映画を見たり、とデートもどきの時間を持ったこともある。
今にして思えば・・・やっぱり好きだったのかもしれない。どうかな、どうだろう。
私が転勤や結婚で長く東京を離れてからは年賀状だけのやり取りになり、最初の結婚(お相手は私も知っている後輩の女性)が破たんしてから10年以上経って最近の年賀状は女性との連名で来るようになったから、ああ、やっと・・・と安堵していた矢先。
今日、知らない女性の名で、私宛に喪中欠礼のハガキが届いた。
誰だろう、と訝しく思いながら文面を追ううちに頭からすっと血の気が引いた。
―先輩が亡くなった。それも今年の4月、そう半年も前に。
脳の病気で手術した時は、それこそ最初の結婚の前だったし、それは良性の腫瘍だったと聞いた。
いや、病気が原因とは限らない。だって私は何も知らないのだから、先輩のこの10数年を。
職場では問題児だったことは誰かから聞いていたし、病気休職していたようなことも耳にした記憶がある。
でも、少なくとも毎年届く干支をあしらったイラストのハガキにそんなことは全く書かれていなかった。
身近な人の死、と言うのとはまた違う。身近どころか全く心の距離も居住地の距離も遠い人だから。
でも、何故か折々に脳裏に浮かぶ存在ではあった。何かにつけ、というか何かがきっかけになって何となく思い出す人ではあった。
会いたいか、と訊かれると決してそうは思わない。
理屈っぽくて、我が強くて、信念がある割にはどこか打たれ弱い人だった。
亡くなった方に失礼とは思うが、正直ルックスも好みではなかったし(ごめんなさい)。
でも。
会いたいと思ってももう会えない。先輩は既にこの世に存在していない。信じられない。ピン、と来ない。現実味がない。嘘臭ささえ感じる。だけどハガキは目の前に存在している。
遠いから、それにあまりにも時機を逸してしまっているから、と言い訳しつつ、多分私は何もしない。線香を上げに行くことも、お花を仏前にお送りすることも。
私がそうしていたように、先輩も私のこと、偶には思い出してくれてたのかな。
私がどこか斜に構える生き方をするようになってしまったのはあなたの所為でもあるんですよ。
あなたの仕事のやり方は、多くの味方を得ると同時に敵も作りましたよね。
可愛がってくれる上司とそうでない上司、そして慕う後輩とそうでない後輩。
もし最初にあなたと出会っていなかったら、私も「そうでない」の方にいたかもしれない。
私の記憶が正しければ先輩の誕生日は昨日だったはず。
内地であるなら、このハガキは昨日届くはずだった。そこまで計算して奥様は投函されたのだろうか。それとも単なる偶然?
先輩、今更ではありますが、楽しい(ばかりでは必ずしもなかったけど)時間をありがとう。
バレンタインデーにあなたと一緒に見に行った映画は「危険な情事」。カップルならまずそんな映画は見ないはずだから、やっぱり私たちはそういう仲ではなかった。
―じゃあ、どんな間柄だったの?
今日は、あなたを偲んで久々にアルコールを飲もうと思います。
術後、体質が変わったのかすっかり弱くなってしまって、ワインならグラス1杯で気分が悪くなるから、ほんの少しだけ美味しいスコッチでも。
やっぱり、お花、送ろうかな・・・
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