いろいろ思うわけです
いやいや、最新のテクノロジーってヤツ?(多分そこいらの小学生でもできるはず)
ipadやコンデジと、新しいプリンタがいともあっさり繋がった。ちょいちょい、とクリックするだけですぐにお目当ての画像がプリントできるのである。わービックリ。
これで面倒だったあれやこれやが簡単にできるようになった。そしてこんな多機能でユーザーフレンドリなプリンタが、奥様、たったの15000円弱ですってよ!
正直、事前に実勢価格を調べる段で、あまりの安さに驚いたのだが、家電量販店の店頭でもほぼ同価格。
思いましたね。今やこういうものって消耗品なんだ、と。壊れたら即買い換え、なんだと。
だってこのお値段なら保証期間終了後に故障したら、多分送料と修理代を合わせた金額で新しい商品が購入できるもの。
プリンタのお値段に、更にゼロをいくつも足した金額が動く馬のセリが昨日、今日の2日間行われている。
もはや庶民には手の届かない価格で走るかどうかもわからない当歳馬が売られているのを見ながらしみじみ思う。競馬ってこの時点で大博打だな、と。
ブラッドスポーツだ何だと格好つけてみても、所詮競馬はギャンブルに過ぎない、というのが私の持論だ。
賭け事の駒としてではなく、馬そのものをいとおしむ人がいても、全く逆、競走馬をモノ扱いしかしない人がその何倍もいるからこそ現状がある。
それでも、自分が好きになった馬を何とか淘汰(嫌な言葉ですが)から救おうとする動きが最近顕著になってきたので、それはとてもいい傾向だな、と素直に思う。
そんな中、トップトレーナーの一人が障害者などの乗馬療育のための法人を設立した、という記事を目にした。
成績のみならず人格まで優れている方が競馬サークルにいらしたとは・・・
私の記憶が正しければ、年間生産されるサラブレッドは7千頭くらいだったと思う。
その他に海外から輸入される馬などもいて、そのほとんどが「勝てなくなった」り「歳を取った」りで処分されてしまうという現実。
運よく繁殖牝馬として、あるいはもっと運よく種牡馬になれたとしても、ここからも競走で、産駒の成績が揮わなければこれまたあっさりと廃用(これも嫌な言葉)にされてしまうのだ。
このセリで、驚くほどの高額取引が毎年あるが、それら高値の馬たちが果たして値段に見合った成績を残せるか、と言えば必ずしもそうではないから、前にも書いたとおり、馬主にとっては馬を買うことからギャンブルは始まると言っていいだろう。
支払った金額をペイできるどころか、預託料すら回収できないケースも少なくないそうだ。
そういう時、馬主さんはどう思うのかな。
しょうがない、と諦められるような人じゃないと、馬主なんて務まらない気がする。
健康食品などを手掛ける会社のオーナーで所謂大馬主さん、もこれは自分が持っている牧場の生産馬中心らしいが引退馬の面倒を見ることを考えている、という記事をどこかで目にした。
その後の話を聞かないけれど、これが事実であるなら喜ばしいこと。
今日のセールで取引された馬たちが1頭でも多く、その生を全うできればいいと思うが、果たして高い対価でもって手に入れた馬と、そうでない馬、どちらが長く生きていられるのか。
競馬を真のブラッドスポーツと呼びたいのなら、ケガなどでその生涯を終える馬以外、全てが余生を何らかの形で送れるようにすべきではないかと私は思うのですよ。どうだろう?
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