まとまらないけど
くも膜下出血で闘病中だった俳優さんが、再発して亡くなられた。まだお若いのに。
かねてから交際中と噂のあった女優さんが最期看取られたそうだ。
ずっと闘病を支えつづけていらしたとのこと。どれほど悲しく、辛いか。
最近も、知人のお身内が亡くなった。急死、という状態だったそうだ。
葬儀に参列するほどの親しい間柄でもなかったので、夫婦連名でお花を送らせていただいたら、後日丁寧にお礼の電話をいただいてしまった。
かえって気を遣わせてしまって申し訳なかったと思う。
幸か不幸か(もちろん前者ですが)、私はまだ身内の死を知らない。
以前にも書いたと思うけど、家族は健在だし、祖父祖母は物心つく前からいなかった(最後に母方の祖母が没した時私7歳。あまり記憶がない)。
愛猫の死は既に6度も経験した。うち5匹については骨壺が5つ、残されている。
初めて一緒に暮らした子は土葬にしてしまったのだが、今にして思えばちょっと失敗だったかな、と。今更掘り起こすこともできない―10数年も経てば風化しているだろうし―が、遺髪(毛)は残っているので、それでいいかな。
6匹全て、死因が違う。だから、前例踏襲というわけにはいかなくて、基本的に末期の子の看病って気持ちそのものはみな同じだけれど、投薬とか看病の仕方が微妙に変わってくるのだ。
闘病期間も違っていた。ただその長短と流す涙の量は全く比例しない。
短かろうが長かろうが、悲しみは変わらない。
今、病気と闘っている猫は、既に数年以上頑張っていて、その間に、後から病を得た子たちが追い抜くように逝ってしまった。
今は気が張っている。この子を少しでも長く、いい状態でいさせてあげたいから、頑張れる。
でも、この状態で今この子を失ったら・・・考えないようにしなきゃ。これ以上悲しいことは考えたくない。
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