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思うこと。

イスラム過激派によるフランスの新聞社襲撃事件。

まず、襲撃行為そのものについて。
恐らく開祖も、「そんなことしろとは言ってない」(意訳)と思っていらっしゃるのではないか。
テロリストの連中は預言者という存在を嵩に来て、要はそこに神などなく己の盲信に従って集団心理でもって殺戮行為を正当化しているとしか思えない。

全く違う場所でのことだが、10歳の少女に起爆装置と爆薬をくくりつけて自爆テロをさせた過激派集団。この連中が起こしたこれまでの事件を見るにつけ、短絡的な私はこう考えてしまう。

こういった連中にのみ何らかのマークを付けたウイルスを感染させ、そのウイルスの感染者のみを一斉に心停止させるような病原菌を作れないものか、と。

・・・現実的にそんな化学技術が完成したら、それこそ悪用された場合下手すりゃ人類が滅亡してしまうけれど、それくらい要は腹立たしいということ。

話をフランスの事件に戻すと、容疑者と、警官殺害事件を起こしたその仲間はその後別々に立てこもり事件を起こし、どちらも最終的に射殺されるのだが、関与したとされる容疑者のパートナーは既にシリア入りしているらしい。逃がしてしまったのか。残念。

そして、これはアメリカの映画会社が北朝鮮の将軍様をあからさまに揶揄した映画を作った時にも思ったことなのだけど。

表現の自由、という錦の御旗の下に、映画にしても絵にしても、それを観た人が傷つこうが悲しもうが怒ろうが構わない、というのはどうなのかと。
日本にも風刺画はある。でもそれが新聞のメインになることはあり得ないし、襲撃された新聞社の編集長こそがそのメインの絵を描いている方だった。

ああやって刺激することでああいう反応をする集団であることは百も承知だったはずで、実際過去にあの新聞社は放火もされていた。
それでも書き続けることで社会の何が変わり、何を変えることができたのか。
単なる大衆娯楽としての存在なら、命を賭してまで描かなければならなかったのか私にはどうしても理解できない。

神様、という存在は広義では信じる。でも特定の宗教の信者ではない。そういう人が日本では圧倒的に多いのではないか。私もその一人。
だからなのか、ムスリムのあり方がどうしても理解できない(こればっかりだ)。
ただ、凶悪な事件を起こす信者はごくごく一部で、実際、新聞社襲撃事件で命を落とした警察官もムスリムだったそうだ。犯人たちは、ご丁寧にも一度被弾して倒れているその警察官にとどめを刺していった。許せない。奴らは同朋を殺したことを知っていたのか。
・・・同じように撃たれて死んでしまったが、犯人は地獄に、警察官は天国に行くだろうから二度と会うこともないので、わからないままだろうが。
(私の宗教観はこの程度なんですあしからず)

大多数の善良で敬虔な何の罪も犯していないムスリムが、どうか無用な迫害に遭いませんように。
糾弾されるべきはテロリストだけなのだから。

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