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まとまりがないのはいつもの事です

昨日は敢えて書かなかったけれど。

私の好きなジャニーズの小山慶一郎が出演する夕方のニュース番組を見た。
津波の映像が流れる前にクレジットが入るのだが、それはとても行き届いた配慮だとつくづく思わされた。

私は被災していないし、偶々家人の友人のご子息が建物に取り残されるという事態に巻き込まれたが幸いにもご無事だった。
母の実兄夫婦は福島の浜通りに住んでいて、こちらも被災こそしなかったが、原発事故などの影響で乏しい物資に音を上げ一時私の実家に避難していた。もちろん、今は帰還し、平常を取り戻している。

でも、子供の頃遊んだいわきの海岸で亡くなられた方がいたことはショックだった。
復興関係の作業員や避難者が流入し、いわき市も大変なことになっているそうだ。

昨日の一連の行事の中で、強く印象に残ったのは19歳の女性が語った体験談だった。
母親と共に津波に流され、たどり着いた瓦礫の山で彼女は母親が窮地にあることを知る。
脚を挟まれ身動きができない。周りには助けてくれる人もなく、か弱い女性の手で除けられるような障害物ではない。

彼女が選択した行動は、一緒に死ぬことではなく、生きる、という道だった。
この場所に留まれば自分も助からない。だから・・・

この後、家人と私が話し合ったのは、この女性の母親の一言について。

自力では抜け出せない。目前に迫った死を悟って母親は「行かないで」と訴えたそうだ。

娘はその声に、「ありがとう。大好きだよ」と答えてその場を後にした。生きるために。
この時の二人の気持ちを私たちは絶対に知ることはできない。推察や想像はできても、絶対にわからない。

家人曰く。「逆だろう」―この場に残りたい、と懇願する娘を、あなただけは助かりなさい、と突き放す母親。ドラマや小説でならきっとそう描かれる。
でも現実はそうではない。
果たして私がそれぞれの立場ならどう考え、どう行動したろうか。

でも、結果的に彼女のとった行動は正しかった。生きて、伝えて、そして幸せになること。それが彼女の未来であってほしい。



あの日は、とても長い揺れを感じて、少々気分が悪くなった。
やっと終わって、凄かったね、などと呑気に構えながらテレビを点けたら、その被害の甚大さが時間を追うごとに報道され、仕事どころではなくテレビの前から離れられなくなった。

テレビ東京ですら震災関連番組ばかりになって、テレビCMはこぞってスポンサーが自粛したため公共広告機構のそれが繰り返し流され、北海道でさえ乾電池や水、ティッシュなどに販売制限や品不足が発生した。

あの日から4年が過ぎても復興が道半ば。なのに、既に6年後のお祭りに向けて政府はシフトチェンジしているみたいだ。
それを誤魔化そうとばかりに、昨日はあちらこちらでバカの一つ覚えみたいに復興復興といろいろな方が口にされていたが、果たして?

話が戻るけれど、私は怖くて津波の映像を見ることができない。というのも、震災から少し後、とある夜唐突に見た夢があまりにリアルだったから。
黒い波に、襲われるのである。恐ろしいばかりの臨場感。そこに交じっていた瓦礫や遠くに見える炎までもがまるで被害に遭われた方の想いが憑依したかのようなリアリティだった。

その夢以来、あの波の中に人がいる、猫や犬もいる、そう思うだけで身がすくむ。見たくない。もう二度と見たくない。

小山クンは幾度となく被災地に足を運び、様々なものを見た。
某所のインタビューでは、震災うつを発症した「同僚」丸岡さんのように自身も「もっていかれそうになった」と心がダウンしそうになったことを告白している。
ジャニーさんに「ユー、アナウンサーになっちゃいなよ」と言われたことある、と苦笑交じりに話していたけれど、先見の明、だろうな。今の小山クンはアイドルよりもキャスターに軸足が移っているように私は感じるのだ。

テゴマス(笑)に逆らうことなく、アイドルとしての自分も認めつつ、デスクこそないけれど報道キャスターとしての誇りを持っている、ジャニーズとしては風間俊介と並んで(爆)異質な小山クンをアイドルという枠を超えてこれからも応援していたい。
(だから迷ってるんだよなあ。新しいアルバム「WHITE」買うべきかどうか)

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