« ひとつの区切りがついた日でした。 | トップページ | 節目の年に »

お盆だそうで。でも私にとっては

今日は私が初めて一緒に暮らした猫の命日。ほんの半月で逝ってしまった小さな命が全ての始まりだった、のかもしれない。

彼女を亡くさなかったら少なくともみもざには出会っていなかったし、もちろんその子猫たちも生まれては来なかった。

もしかしたら、その後も他の猫を受け入れることや、ましてや保護活動のお手伝いなんかしようとも思わなかったかもしれない。

驚くほどすぐ私に懐いてくれたので、猫なんてみんなそんなものだろうと思ってしまったくらい。今にして思えば、残り時間が短いことを自分で知っていて、少しでも長く少しでも多く私からの愛情を得たかったのかもしれない。

行きつけの花屋さんで可愛らしいアレンジを作ってもらい、テーブルの上に置いて周りを6匹分の骨壺で囲む。
考えなしに土葬してしまったので彼女の分のそれはないから、遺影を置く。

特別なご馳走もなければ、きゅうりやなすの馬もないけれど、きっと皆戻ってきてくれているだろう。こうしてキーボードを叩いている私の足もとやひざに、あるいはベッドで寝そべって野球を見ている家人の傍にいてくれる、そう信じている。

ここのところ毎年のように猫が逝く。でもその後釜を補充する考えはないので、これから保護する予定の子もやはり里親を探そうと思う。
全く触れないどころか、50センチの距離から始まったその猫との関係も、今や抱き上げられるところまで来た。
以前にも書いたとおり、蓋を開けたキャリーを傍らに置いてから、抱き上げてすとん、と中に入れるつもり。できると思う。多分。

もう猫にかまけている暇はこれからどんどんなくなっていくから、少しでも早く手を打たなければ。
でもねえ。この猫を家に入れたら、縄張り拡張を目論んでまた猫がやってきそうだし・・・まあそんなこと考えていたら何もできないか。

これまでに都合10匹以上自分で保護してどうにかしてきた。家の子にしたり里子に出したり。
かかりつけ医に里親を探す、と言ったら苦笑されたくらいブサイクな子たちは確かに家に残ったけれど、正直これは無理だろう、と思った子がもらわれて行って溺愛されていたりとか、何の変哲もないキジトラが、里親募集かけたら複数名乗りをあげられてびっくり、とか、譲渡会に出してみたら数組からお声がかかって、中途退席を余儀なくさせられたりとか、こればかりは本当にわからないものだ。

今回保護する子も、見ようによっては可愛いが、客観的にはブサだろうと思う。でもわからないぞ。とりあえず保護してから、だ。

ちび猫かれん。あなたの魂が今私の膝にいたらいい、と心から思うよ。
あなたが成長して、果たしてすらりとした銀色の美女でいるのか、いかにも避妊手術後の猫たるデブ猫になっているのかわからないけれど、あなたの重みを感じたかった。だって、本当に小さくて軽々としていたものね。

みーちゃんもいるかな。今日ばかりはかれんに膝を譲ってやってほしい。
黒猫のあはきっと某身内の傍にいるだろうけれど、余裕があったらこっちにもちょっとだけ来てね。


世間的に今日がどんな日かは知っていますし、首相の談話にいろいろ思うところもあるのですが(私は比較的肯定派です)。また後日。

|

« ひとつの区切りがついた日でした。 | トップページ | 節目の年に »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« ひとつの区切りがついた日でした。 | トップページ | 節目の年に »