節目の年に
昨日の高校野球4試合、外出先でちらちらチェックしていたのだが、やはり早実の彼は「持って」いるなあ、としみじみ思った。
なかなかのビッグマウスだけれど、それが嫌味にならない辺り、もって生まれたスター性というか、自分の宿命(大げさ?)を自覚しているんでしょうね。
ルックスだけで騒がれるタイプではない(ごめんなさい)し、これから勝ち進んでいけば投手と違って消耗度も低いから更なる活躍が見られそうだ。
私の母校も甲子園に出たことがある。100年、という節目だからかいろいろメディアが過去の回顧をしている中、母校もそれなりに取り上げられる機会があり、昨日も2000円もするムックをつい購入してしまった。
今年は戦後70年、日航機墜落事故から30年、そして高校野球100年、と大きな節目が重なった。
当然のことながら戦争は知らない。身近に祖父祖母はいない(物心つくかつかないかのうちに死別している)し、被爆にも大規模空襲にも縁のない土地で両親は生まれ育っているし。
高校野球は前述のとおり。ここまで後にも先にもたった一度の出場しかない母校だけれど、その一度、でかなりの爪痕(?!)を残しているから嬉しい。
そして日航機事故。
親戚も知人も事故機に搭乗していなかったけれど、あの「日航123便消息不明」というテロップと、それから徐々に明らかになっていく悲惨な状況は未だ記憶に新しい。
事故後発行された関連書籍を何冊も読み、何年か前にご遺族の中でも男性の方々の目線で描かれたドキュメンタリーが映像化された時は、それを見たいがためにWOWOWにまで加入してしまった。
私は年に1、2度程度しか飛行機には乗らないが、事故に遭われた方達お一人お一人の年齢や簡略されたプロフィールを本で見たら多分同じように普段はほとんど飛行機なんか利用しないだろうと思われる方も数多くいらした。
もちろん、あれはシャトル便だし普段からビジネスで頻繁に利用されている方々もいて、でも分母が大きかろうが小さかろうが、確率は低くなっても遭遇するタイミングは重なるものなんだ。
あの事故で、誰一人刑事責任を問われなかったことにはご遺族ならずとも不満はある。おかしい。
もちろんボ社の対応もそうだけど、いろいろな憶測や推測が当時から今に至るまで根強く囁かれていて、果たして事実はどこにあるのだろう。
節目の年に、実は私も節目を迎えていたりする。
―Kさん、そのうちメールしますね。いろいろあるんですよ。
今朝は涼しい。もうすぐ北海道ではスタッドレスタイヤと暖房器具のテレビCMが始まる。
夏はほぼ終わったらしい。
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