(タイトルすら思い浮かばない)
前のエントリに登場した猫の闘病仲間(?)からメールが届いた。
やはり私の杞憂だったようで、その辺のいきさつは省くけれど、私の長文メールを遥かに超える長さのお返事にはもうすぐお別れがやってくる猫への心情が綴られていて、ありきたりな言葉ではあるが「切ない」。
日航機墜落事故のご遺族を取材した記者の本を読んだこともあって、今、命というものについてとりとめもなく考えている。
その本の中に記されている「陰徳を積む」、そして「人間らしく生きた時間の合計のみが人間の年齢である」という言葉には己を恥じずにはいられなかった。
・・・多分私、10歳にも満たないのではないだろうか。
真剣に生きた時間なんてほとんどなかったと思う。部活は確かに頑張っていたけれど、器用貧乏な私は常に上っ面だけ。悪目立ちすることなく上手に立ち振る舞っていたけれど、なまじそれができた分真に上達することはなかった。
習い事だってそう。みな途中で投げ出してしまったから資格と言えば普通運転免許くらいしか手にしていない。
ここにきていろいろなことが怒涛のように押し寄せ、その重みで潰されそうになっているのだが、もし、思い出すだけでも数多あったどこかの分岐点で努力を惜しまずにいたら、もっと違う「今」を迎えていたかもしれない。
闘病仲間、の彼女はある意味私の理想だ。シチュエイションではなく、その生き様というのか、考え方というのか、歳の頃はほぼ同じだがとにかく私とは対極にあり、でもどこか似ているところもあるから惹かれるのだと思う。
また思い出したようにメールのやり取りをしながらお互い最後の1匹が逝くまで見届けあいたい。
ここにきて急に涼しくなったこともあって家人共々風邪気味だ。
しかも、捕獲する予定だった外猫が普段とは違う行動パターンを取るものだから結局捕まらない。もう!
来週からまた心身ともにすり減らされる日々となるわけで、何だかなあ。
取りあえずこれ以上体調を崩すことのないよう、気を付けなきゃ。
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