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あのドラマには春は来ないだろうな

何だかだ言って結局見てしまうのはあのドラマ。
でも、決してリアルタイムでは見ない。だって、休日の前日にアレを見てしまったら翌朝のテンションが下がること請け合いだもの。

で、先週の金曜日の分は昨日の朝、家事の合間に見た。
・・・まさか、タイトルをセリフにして、あのシーンで叫ばせるなんて。

以下、ネタバレなのでよろしかったらこの件は「続きを読む」からどうぞ。ぐだぐだと書いていますので。

急に暖かくなり、雪も解けてきた。
近づく春に焦りが募る。この性格なんとかならないのか。誰か、私に集中力と読解力、記憶力を与えてください。

夢中になった原作を、過剰演出で台無しにしてくれやがるというパターンの最たるものが映画「風が強く吹いている」だった。

ラストの、10区大手町のゴール前でハイジが故障発生、それをカケルだけが察知するという、二人の間の強い絆がクローズアップされるシーンでこともあろうにハイジが転倒、足を引きずりながらゴールさせたのだ、映画では。
しかも、東体大はちゃっかりシード権を獲っているというではないか。

そのシーンまでは、時間的制約を鑑みればかなり原作をトレースして世界観も忠実に描いていた、と感動まで覚えていたのに(除く水沢エレナ。小出恵介のバーターだろうけどあの大根がどれだけのシーンをぶち壊したことか)、涙が一気に引っ込んだ。

そして今回のドラマでは、水川あさみ演じる美和が「解体」の現場に向かうとき綾瀬はるかの恭子に向かって「わたしを離さないで!」と叫んだ。
・・・原作では美和=ルースの死は恭子=キャシーのモノローグで淡々と描かれ、ここは大きな山場としての表現はされていない。
もちろんキャシーにとって大きな喪失だろうけれど、彼女の持つ虚無感とでもいうのか、麻痺している感情の中で処理されてお終い。
だからこそ、静謐で漣しか立たない彼女の感情が一度だけ希望を求めて激する場面が際立つというのに・・・

だから、この原作をドラマ化してほしくなかった日本では。
なまじ忠実にシチュエイションをトレースしたりするものだから、原作と大きく乖離するシーンの数々に違和感を覚えてしまうのだ。

キャスト陣はとても頑張っていると思う(上から目線ですみません)。
あんな役どころ、どうやって役作りをしているのだろう。人であって人ではない。人権もなければ生存権もない。ただ「搾取」されるだけの存在に生まれついたら、なんてどうやって想像しろというのだろう。

主役と主役級の3人だけではない。恭子の少女時代を演じた子役が、3人で訪ねた陽光で恐らく恭子と同じ細胞から作られただろうクローンを演じているが、既に昔の陽光ではなくなっていた施設で、恭子たちとは違った「教育」ならぬ「飼育」をされていた彼女は恭子の少女時代と全く違った表情を見せた。

想像するに、あれは小児への移植のために提供の現場に向かうのだろう。あの小さな体なら、一度の提供でも耐えられず、即時解体なのでは・・・想像もしたくないけれど。
ちなみに、当然のことながらあのシーンは原作にはない。

アジアン馬場園だって、明るさと彼女のふわっとした雰囲気が事態の深刻さを隠してはいるが、真実の自死の現場で恭子と出会った時には提供が始まることがわかっていたはずなのに、きっと心の動揺もあったはずなのに、それを抑えた演技で微塵も感じさせずに恭子の背を押そうとする優しさを見せる。

ちょっとした脇役にまでも演技派と言われる俳優を配し、本当に、これだけのキャスティングで何故よりに寄ってこのドラマ?!と思わず文句を言いたくなるほどだ。

今週は恭子(と友彦)が絶望の淵に立たされることになる。もう原作とは別物、と思わせるならいっそ本当に猶予をあげて欲しいとさえ思ってしまう。でも、そうはならないんだろうな。

臓器提供のためのクローン人間製造、なんて余分なテーマさえなければ。でもこのテーマがなければただの青春群像劇でしかないし、恭子、美和、友彦の関係性も全く違ったものになってしまう。
個人的にはこのドラマ、WOWOWで企画して欲しかった。脚本も、著名なライターに頼らず、商業的に手垢のついていない無名の新人にでも書いてもらいたかった。
視聴率に縛られ、興味本位に扱われるドラマに・・・結局なっているもの。

長々書いてしまったけれど、多分最終回まで録画して、最期まで見届けるんだろうと思う。保存して、見返すかどうかはわからないけど。

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