最後の・・・と着くと何でも物悲しく感じられるなんちて
多分最後になる山菜採りを楽しんできた。
収穫はシドケ1キロ強と独活数本、こごみほんの少し、ギョウジャニンニクは伸びきってもはや何だかわからない状態のものを500グラムくらい。
シドケはゆでてから水に晒してアクを抜き、独活は皮を剥いて刻んだものをきんぴらに、実の部分は短冊切りにしてからサッとゆでて酢味噌和えに。
そして芽や若い葉は天ぷら用に・・・って最低3回分はありそうだ。
ギョウジャニンニクは半分を湯がいておひたし用に処理し、残りは3つくらいに切ってジンギスカンに混ぜて。
何の苦もなく楽しめた山菜採りも今年までだろう。寂しいけれど仕方がない。
一緒に採った元従業員の子も、去年目覚めたばかりだそうで、もっと早く山菜ファンになっていればいろいろ教えてあげたのだが、それも今年が最初で最後。
今年は冷凍保存をやめた。
とにかく、採ったものをできるだけ早く食べることを心がけた。理由は特にない。
たくさん収穫できれば実家に送りたかったが、去年のように頻繁に様子を見に行けなかったこともあって、特にたらの芽は収穫時機を逸してしまったことが悔やまれる。
ああ、楽しかったなあ。死亡事故まで起きるほど、山奥に入らないと採れないものが徒歩数分で苦もなく入手できた、こんな生活が永遠に続くなんてことはないだろうと思ってはいたけれど、こんな形で終わるなんて想像もしていなかった。
終わるといえば。
終わりに当たって、経営者からは社の業績を記念する品々を全て適当に処理してくれ、と告げられていた(モノばかりでなく商品も従業員もだけど)。
とはいえ、簡単に処分なんかできやしない。物理的にもそうだけれど、気持ち的にあまりに辛いことだったから、そこで考え付いたのが、従業員はもちろん、商品のファンだった人たちに無償で譲渡すること。
・・・まあまあ、いくつ荷物を作ったことだろう。
梱包材やガムテもたくさん消費したが、送料もかかった。もちろんさりげなく経費で落としたが。
わが社の最盛期に沸いてきたファンたちも、年々数が減っていき、最終的にはほんの数人だけになっていたため、その方たちにとっては貴重な品々が何の前触れも前置きもなく送られてきてさぞ驚かれたことだろう。
実際、驚きと喜びで(そうだよね?)お礼のメールを皆さんくださった。中にはそれによってこちらの気持ちも考えず距離をいきなり詰めてきて困らせてくれる方もいたけれど・・・
そして、情けは人のためならず。今日、その中のお一方からとても嬉しいプレゼントが届いたのだ。
最後の商品が大舞台に立つため(?)見学に行ったのだが、そこで買いそびれてしまったとあるみやげ物があった。
私たちが現地に着いたときには既に売り切れ。ガッカリして(それだけじゃないんだけど原因は)帰って来たのだが、1週間経った今日、いきなり届いたレターパックの中にそのみやげ物が!!
その方も現地に行かれ、なんと、偶々残っていた最後の二つを購入されたのだとか。
そして、そのうちのひとつをわざわざ送ってくださった。なんとありがたいこと。
ちなみに、距離を詰めてきた方、は当日現地でどうしても会いたい、と何度もメールを下さったが、そんな余裕がないことをどうして斟酌してくださらないのだろうか。自分の都合と感情ばかり押し付けてくるのには正直参った。
ま、なにはともあれ、欲しかったそれ、は今私の手の中で輝きを放っている。
本当にありがとう。もう何もお礼はできないけれど(立場的に)(もちろんメールはしますが)、心から感謝しています。
今日も勉強再開しないまま一日が終わろうとしている。いいのかなあ。いいはずがない。でも今、ひとつ気がかりなことがあり、それが進行するまで落ち着かないの。言い訳めいてるなあ・・・
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