そして夜が明けて
結局うとうとしながら化粧も落とさないまま朝を迎えたリビング。
老猫ちびの亡骸が入ったバスケットと、急ごしらえのフォトスタンド(ふうのを借りた。ごめんね)をテーブルに載せた。
大して食欲もないけれど、パンとスープで朝食を済ませ、開店時間を待って花屋に電話。猫が亡くなったことを正直に話して、尚且つ赤メインでかわいらしいアレンジを配達してもらうことにした。
葬儀の場は昨晩のうちに、流通大手が始めたサービスを通じて依頼してあったのだが、9時を過ぎた頃に霊園から直接確認の電話が来た。
この霊園には既に数匹お世話になっている。1年1匹のペースなので、1年ごとに出向くたび発展、成長している施設。そして反比例するかのごとく低下するホスピタリティ。
独占企業だからか、以前は24時間いつでも連絡ができたはずなのに、今では開園時間が決まっており、年中無休だったのが週1日定休日ができていた。
まあそれは仕方ないにせよ、最大の変化は従業員だ。
一番最初に猫を連れて行ったとき心から一緒に悲しんでくれていた責任者と思しき女性は回を重ねるごとにビジネスライクになり、少しずつ増えた従業員もどこかそっけなく、慇懃な丁寧さがあまりに余所余所しくて切なくなる。
どこか他の業者が参入してくれないかな、と今日も電話を切ったあとで思った。
彼女たちは日々変化していく自分には気づかないのだろう。「儲かっている」という現実の中で飼い主の心に寄り添い一緒に悲しんでいた当時の自分なんて忘れてしまったのだろう。
それでもそこしかないから仕方ない。彼女たちはいずれにしてもただの商売人でしかないのだから、大事なのは私たちの気持ち。ちびを悼む心。
棺を飾るための花は家人が帰宅する途中で買ってきてくれることになっている。
もともと人が食べるものに興味を示さない子だったし、いつも食べていたドライフードと好きだった猫スープ、そして生クリームを持たせよう。おもちゃは・・・あまり遊ばない子だった、というか野良生活が長かったから遊び方を知らない、という感じだったっけ。
本当に手のかからない子だった。投薬も注射も、嫌がりはしたけれど本気で暴れることはまずなかった。
とてとて、という言葉が似合う歩き方、どこか小熊のような子だった。
保護目的で捕獲してしばらくの間のケージ暮らし。でも出せ出せと騒ぐでなし、当時いた黒猫クロにはすぐ懐いて、クロの手助けもあって私も触れるようになったし、いつしか呼べば来るくらいまで信頼関係も構築できた。当たり前のように完全室内飼い、箱入り娘然とした風情で我が家で気ままに振舞っていた。
これでちびの一族は全て天国に行ったことになる。みんな待っていてくれたはずだから、今度はずっと一緒に、離れることなく暮らすんだよ。濃淡こそあれど同じ色合いの家族4匹(お父さんは流石にわからない)、それぞれに違う運命をたどったけれど今度こそ離れることのないように・・・ってバラバラにしたのはこの私なんだけど。
みーちゃんの愛娘も先月息を引き取ったと聞いた。ショックだ。
一番見た目にも美しかった子だった。顔こそ似ていなかったけれど、長毛で華やかな雰囲気のお嬢さん。
人間で言うところの多臓器不全らしいが、何度も入退院を繰り返していたそうだ。手をかけてもらえてよかったね。
ああ、雨はやまないなあ。まだ仕事が軌道に乗っていなくてよかった。おかげでちびの傍にずっといられたから。
豚毛のブラシで撫でるととても嬉しそうに喉を鳴らしたちび。話しかけるとわかっているような顔で頷くちび。外にいたとき、ねぐらから締め出されて途方にくれながらうろうろしていたあの雪の夜の、地面についたたくさんの小さな足跡が忘れられない。
幸せだった?少しでも幸せを感じていてくれた?楽しかった?生まれたあの土地で逝かせてあげられなくてごめんね。
向こうにいったらあなたの家族だけじゃなく、共に過ごした黒猫やみーちゃんファミリーもいるから皆で仲良く暮らしてね。
もう息苦しくもないし、私にいやなこともされないし、好きなものを食べて好きなだけ走り回ってね。
さ、掃除でもしますか。そして・・・実はもう一匹気になる症状の子がいるので、その様子も見なければ。
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