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思うこと。

気の毒だな、とさえ思ってしまう。
家庭に自分を苛む要素が潜んでいて、心身ともに傷ついて疲れ果てて、そこにエスケープフロアがあれば誰だって逃げ込んでしまうだろう。

彼はとても誠実な人だ。会見を見ていて痛感させられた。だのに、それを辛らつに叩く醜い女たちを偶々テレビで見て不愉快な気持ちになった。
厚化粧のバケモノのような老女や、昔流行った「ウーマンリブ」を地でいくようなジャーナリスト気取りの初老の女。この人たちは何の権利があって彼を激しく非難、批判するのだろう。何の権利があって?

彼の配偶者の病状を事細かに語ったことについても、これは男のジャーナリストが批判しているが、このもはや老害というべき「批評家」はこれまでにも的外れて居丈高な発言を繰り返しているのに何故未だテレビに出続けているのか。

彼は現状を素直に率直に語った。そこに彼女の病状は欠かせないファクターであり、それがあってこその彼の今回の騒動なのだ。
介護の現場、それも経済的に余裕のあるにも関わらず、ひとり向き合わなければならなくなるとこれほどまでに疲弊し、磨耗してしまうのか。それを受けての今回のこと。

彼は知ってほしかった。音楽性に秀でて明るく快活で独立した大人の女性だった配偶者が突然の病を得て、奇跡的に生還したはいいが精神的に後退してしまい、日常会話すら成り立たなくなる。共に切磋琢磨して築き上げた音楽作品に興味を持たなくなってしまった彼女を見て彼はどれほどの絶望感を抱いただろう。

引退、という思いがけない言葉にその場のマスコミたちは一様に息を呑んだ(ように見えた)(結局私も会見を見てしまったのだが)。質問をする中で声を詰まらせた記者もいた。
そして、そもそも追い詰められていた彼を結果的に撃ち殺したゴシップ誌は今、形勢逆転し批判が集中している。いい気味だ。

年端もいかないアイドルや人気タレントなどのスキャンダルを大人気なく暴いては正義の鉄槌でも下すかのように思い上がっていたこの三流誌は、些か調子に乗りすぎたらしい。

20年以上もの長きにわたってこの週刊誌を読んでいたが、昨年から買うのをやめている。連載の小説だけを図書館やコンビニで立ち読みしてはいるが、記事は一切読んでいない。ささやかだけれど抗議の気持ちもあるし、そもそも読みたいと思う記事が年々減っていたのも事実だから。

彼の介護人生はまだ続く。もし今回のことで夫婦関係が破綻しなければ、だが。
彼女は何もわからないかもしれない。でも彼の方が現実を直視することで逃げ出したくなってしまうかも。

ご本人も仰っていたけれど、潮時という言葉は昨年から意識していらしたようで、そのきっかけになったゴシップ誌はそこまで読みきれていなかった。
どうか彼の今後が安らかに過ごせる日々となりますように。となりにいる人が誰であったとしても。ただただお祈りします。



給油に入ったGSで、ドアを開けた途端、最愛の猫の名を冠した曲が聴こえてきた。
彼女を喪って15年。彼女のいた時間に帰りたいと思って、帰宅して少し泣いた。
そう、彼女と暮らし始めた頃に、流行っていた曲たちを作った人は・・・リンクするなあ。時は本当に無常に流れていく。決して止まることはない。

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