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春にして君を離れ(アガサ・クリスティ)(推理モノではない。でもある意味ミステリー?)

ここのところ立て続けにテレビなどで目にしたメニューは「ポークチャップ」
偶々スーパーで、分厚い肩ロースを見つけて思わず買ってしまったところまではよかったが、肝心なソース(イメージはシメジと玉ねぎ入りのデミグラス)のレシピが見つからない。
お得意のクックパッドでもピンと来るモノがない。ということで、ここは適当に作ってみることにした。

まず小麦粉をさっと炒めて臭みを取ったところにバターを投入。木ベラで混ぜているうちに色付いて来るので、焦げるちょっと前に、まず水。次いで赤ワインを適量入れて混ぜる。
そこにケチャップ(カゴメの業務用バターケチャップ)、ソースは2種(ウスター、とんかつ)、コンソメ、フォンドボー、粗挽きコショウ、塩、みりん、三温糖、醤油をこれまた適当に混ぜる。

結果、自己満足ではあるが、実に美味しく、イメージ通りのソースができあがった。
柔らかく仕上がる焼き方はクックパッドで見つけ、そこにソースをかけたら、家人も大絶賛してくれた。

…ただ問題がひとつ。あまりに適当に作ってしまったので多分再現はできない(涙)。ああ、せっかく美味しくできたのに、もうあの味は作れない・・・だろうな。まあチャレンジはしてみるけど。
なんだか、こんなことばかりしているような気がする。どうして私はこうもいい加減なのだろう。


ここのところ、気分が上がらない。
震災から7年経った、と昨日まであちこちで報じられていたが、今日になってしまえば何事もなかったかのようにテレビ含むマスコミは他の話題に夢中だ。

何処かで見かけたツイートは福島の農家のお嬢さんのもので、寄付とか祈りとかじゃなく、福島の野菜を買ってほしい。実際に脚を運んでお金を落としていってほしい。それが被災地にとって嬉しいこと、だそうだ。私もそう思う。

風化させるな、と言われても、当事者でなければ、あるいは当事者であったとしても記憶は薄れていく。
それを、その日、たった一日だけ思い起こすことはいったい何になるのか。
防災意識?被災地支援?本当にそれらを慮って報道しているマスコミは果たしてどれくらいの割合で存在しているの?
福島産の野菜があれば買うようにしている。それくらいしかできないけれど。

私は偶々今回「被災」していない。震災で物資が不足して困ったこともなければ、計画停電も経験せずに済んだ(と思う。既に記憶は曖昧)。
震災以外であってもライフラインが完全に絶たれた経験もないし、停電だって、せいぜいが数時間規模のものだけ。

でも、最近、千島から北海道太平洋沿岸で強い地震が起きる確率が高い、と唐突に発表されたことで少しだけ危機感は抱くようになった。
早ければ来年の今頃には内陸部に転居しているから、そうなれば被災する可能性はかなり低くなるのだけれど、それまでの間にそんな強い揺れが来れば、大津波も当然想定されているそうで、被災者になる可能性は限りなく高い。現住所から鑑みれば被災者どころか被害者になってもおかしくない。

我が家には猫がいるから、まあそれもアタマの隅にあって車を買い替えるにあたってセダンはやめた。後部シートを倒せばキャリー4つとトイレも置ける今の車は、私が運転できるギリギリの大きさ(え?)だ。何とか猫4匹連れて私の運転でも逃げ出せる。

食料は、缶詰を少々くらい。水は常に買い置きがある。キャットフードも1か月分くらいは常にストックしてある。米もあるしカセットコンロも。おまけに我が家はLPGなのでよほどのことがない限りガスは使える。
後は簡易トイレくらいかな、用意が必要なのは。

ただ問題は、家人がそこそこ責任ある立場にあるので自分たちの身の振り方だけ考えればいいというわけにはいかないこと。
被災してしまったらそれこそ職場のこと、少ないながらもいる部下のこと、等々対処しなければならないことが山のようにあるのだ。

公私共に考えること、落ち込ませてくれること、が多すぎて、油断していたら涙が出てきそうで困る。

気分が晴れるようなことはおきるのかしら。ここに、明るいニュースを明るい気分で書き込める日は来るのかしら。
春なんか来なければいいのに。4月になんかならなければいいのに・・・・・・

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