入口だけの問題じゃない
ドクターヘリ、こちらはドキュメンタリーなので全てリアルだ。
コード・ブルーの医療監修担当した関東の病院。驚かされたのはそこに勤める医師たちの給与があまりに安いこと。
目の前の命を救う、それだけを目的に、モチベーションにして時には不眠不休で働き、家庭をも顧みない、
そんな医師たちの存在は、患者という立場になり得る一市民にはとても有り難いし、頼れるものだ。
だが、番組の中で紹介されていた一つの症例には大きな疑問を抱いてしまった。
心肺停止からかなりの時間が経っていて蘇生の可能性が極めて低い患者に、開胸して処置を施し、結果無事蘇生はしたけれど、脳内の損傷が酷く、言葉は悪いが植物状態のままの可能性が高い、という結末がもたらされた。
一時は諦めかけたスタッフたちを説得するようにして蘇生を行ったのが救命のリーダー格の医師であったことに私は怖さを感じた。
結果をある程度予測した上でなお、「身体」を生かすことに、言い方は悪いが執着し、その結果、脳、つまり「心」は帰らなかった。
「生きる」ということ。それは心臓が動いていればいいということ?では心は?果たして自らの意思を表すことすらできないまま「生かされて」いくことを、その患者は、家族は望んでいるのだろうか。
その医師にとっての「生」の意味を聞いてみたい。
取材中に同じようなケースが発生し、また蘇生は一旦成功したが、結局その患者は亡くなった。
気になったのは、この二つの事例、医療費はどのように請求されるのだろうか。前者の場合、ご家族はどのように思われたのか。どんな状態ででも構わないから生きていてほしい、そう望まれている、と信じたいが…
関西の病院では、飛び降り自殺の患者が、命を救われ、覚醒した第一声が「なんで助けたの」…死を望む患者に生を与えた医師。感謝されこそすれよもや咎められるなんて。
当然のことながら懸命に治療を施した医師はショックを受けたそうだが、そこでいちいち立ち止まってもいられない。
見た目には穏やかそうな女性医師が淡々と話す口調の中にはやりきれなさが感じられたけれど、既に乗り越えた強さも仄見えて、ああこの方は本当にERのお仕事に情熱を持っているんだ、と関心させられた。
もし、想像もしたくはないが、救急患者として運ばれるなら私は圧倒的に関西のほうの病院がいい。あ、間違っても翔陽大学付属北部病院の救命救急センターには運ばれたくない(笑)
お医者さんって、つくづく大変な仕事だ。
現場で骨身を削って働く薄給の医師もいれば、大病院で踏ん反り返って何故か大金を得ている医師もいる(らしい)。腕だってピンキリ。でも患者は基本的に医師を選べないから、どんな医療を享受できるか、それはもうはや賭けのようなもの。
幸いにして私がこれまで受けた2回の手術はどちらも腕利きの医師によるものだったようで、整形外科の方は術後10数年、内科系の方は数年経った今でも全く問題なく、快適に過ごせている。
でも家人は、地元の病院で治療を受けた怪我が、結局治癒せず小さな障害が残ってしまった。
先だっての医大裏口入学事件は、実際に医学部を目指している学生や浪人生たちには怒りを、そして私たち医療を享受する側にとっては恐怖を与えた、と思う。
まあ、結果的に国試に受からなければ医師免許は手にできないわけだからーよもやそこには不正はあるまいてー入口だけの問題なのかもしれないけれど、不正でもって難関を突破し、それを隠して平然と学生生活を送っているというそもそもの人間性に不安を覚えずにはいられない。
多分、いや、当然のこと、昨日見た番組に登場した医師たちは真っ当に大学入試をクリアしていることだろう。そう、ほとんどの医師がそうであるに決まっている…でしょう?
ただ、お医者さん、ってちょっと変わった人(だいぶオブラートにくるんだ言い方をしております(笑))が多いと思いませんか?
そもそも変わっているから、医者を目指すのか、医師として働いているうちに常識にかからなくなっていく(酷い)のか
そうやって考えると、成績がいいからとりあえず医学部を目指す優秀な人よりも、ほんのちょっとオツムの出来が悪いけど、親などの影響で医師を志す人の方が、たとい裏口であったとしても「いいお医者さん」になれたりするのかなあ・・・うーん、正直ちょっとわからなくなってきたぞ。