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愛猫に寄せて

昨日は最愛の猫、みもざの命日。
2004年に亡くなった彼女は、私にとって相棒?戦友?家族?とにかくかけがえのない存在だった。

安楽死という選択は、その後何匹も見送った猫のどの子にもしなかった、というよりどの猫もそういうタイミングが得られなかった、というべきか。
慢性腎不全で3匹、リンパ腫、心筋症、膵炎でそれぞれ1匹ずつ。皆最期は昏睡状態だったし、苦しみもがくような状態ではなかったし、哀しいかな徐々に「あ、今日だ」という見極めができるようになってしまったから、敢えてその選択はしなかった。

小さめのアレンジを作ってもらったフラワーショップも、もう長い付き合いになる。
さすがにこの日の意味を覚えてくれているらしく、電話をかけると「今年はどうしますか」と聞かれるので、思いつくままピンクで、とかオレンジと黄色でとか指示すれば、私の好みに合わせてこれまで様々なアレンジメントを拵えてくれる。

以前は温室もののミモザの花を懸命に探したり、その名のついたケーキを作ったりもしていたが、最近はそんなこともしなくなってしまった。
それでも、決して忘れることのない日。あの日に抱いた想いや流した涙を一生忘れることなんかできやしない。

私にとって、みもざは幸せの象徴。彼女と暮らした日々こそが私の至福の時間だった。
必ずと言っていいほど、夜になれば私のベッドに潜り込んできて、当たり前のように腕枕を求めてきた。
それは、幾度か受けた手術のあと、エリザベスカラーを装着していても変わらなかった習慣だった。
彼女の温もりを感じつつ、痺れる右腕に悩み、マッサージチェアを買うことを真剣に考えたこともあったっけ。

彼女を失った直後、真剣にその血縁に当たる猫を探そうとした。
でも、みもざ(と母猫)の飼い主は直接訪ねて行くにはあまりに遠い場所で出会った方。電話してみたが、その番号は現在使われていないというメッセージが流れ、仲介してくれた、そのお宅に家庭教師として出入りしていた方のメールアドレスも変わってしまったらもう打てる手はなく、やむなく?ネットでその面差しにみもざの強い眼力を見出して貰い受けたのが今、私の部屋にいるれいあ。

ああ、みーちゃんのいた時間に帰りたい。そして、そこから全てやり直したい。
今のふがいなくもどかしい自分を、まるでVHSテープのように巻きなおしたい。

みーちゃん。ママは覚えてるからね。だからみーちゃんも覚えてて。そして待ってて。


今日は、朝から住めない我が家に行ってきた。冬物の小物―マフラーや手袋、ネックウォーマーなど、仕事場で使うためなのだが、なんだかこれら、ってつい最近まで使っていたような・・・時はゴーゴーと音を立てて激流のように流れていく。
なんだか、怖い。みーちゃんがいてくれたらなあ・・・

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