処罰感情?法令遵守?
ここで書く話でもないと思いつつ・・・
東名高速でのあおり運転に起因する死亡交通事故について、被告人へ懲役18年の判決が出された。
争点は危険運転致死傷罪の適用がなされるかどうか、だったけれど、死亡事故が発生したのは双方共運転中ではないし、実際に被害者を轢死させたのは被告人とは別のトラック運転手だったし、でも追い越し車線に停車させるような運転自体は危険であり、結果因果関係が認められる、という苦しい説明で地裁は危険運転致死傷罪を適用させた。
この判決に対し、批判的な意見も少なからずあったけれど、被告人の態度を見ていたら、まず適用ありき、で裁判員たちが試行錯誤(でいいのかしら、表現)の末に求刑から5年減じることで無理繰り導き出した結論のように思うのは私だけではないと思う。
あの被告人はこれも失礼な表現だとわかっていても言いたい。恐らくあまり知性というものを持ち合わせていないから、きっと未だに反省なんかしていないだろう。
とても短絡的で享楽的な性格の持ち主ではないか、と勝手に推測し、更生することは期待できないという危惧もしている。
双方が控訴するかどうか、まだこれを書いている時点ではわからないけれど、もしされたならば、控訴審で判決が覆る可能性も否定できないし、それは裁判員制度を否定する―裁判員候補者のモチベーションを著しく下げる要因になる。
でも、そうなった時、検察側が上告し、そこで更に判決が覆って、結果的に最高裁判例になってくれれば・・・なんて都合よく考え過ぎてるかな?
車は便利なツールだけれど、簡単に人を傷つけ、或いは屠ることができる凶器でもある。
実は、私も「あおった」経験がないでもない。というのも、ゆっくり走っている車を追い越そうにも追い越せないとき、勢い車間距離が短くなるし、それが先行車にはあおられている、ととられても仕方が無いから。
こちらがそういう意図を持っていなくても、相手側がどう感じるかはわからない。
逆に、あおられたこともある。特に片側一車線の自動車専用道路を走行しているときにはしばしば車間距離を詰められたりするのだが、流石に前に割り込まれて減速、とか悪意を向けられたことはない。
それでも、それは幸運だったというだけで、今後のことを考えればやはりドライブレコーダーは必要なのだと思う。
近日中にはカー用品の店にいってみよう。また出費だけど仕方ない。
もうひとつ、車内での独り言や放歌高吟が全て録音されてしまう、という最大の懸念、これは・・・これも仕方ない、か。
万が一、何らかの証拠としてしかるべき機関へのデータ提出を求められたとしたら、その時は諦めるしかない。あうううう。せめて歌うときは心を込めて正確な音程を(違う)
今日は重箱を取りに住めない我が家へ行ってきた。もちろん雪かきもしてきた。
気温がかなり高かったため湿った雪が重かったが、まだ凍り付いてはいないのでさほど大変ではなかった。
まあこのシーズン、あと最低3回は行かなければならないだろうな。ああ、憂鬱。
そして今は年賀状作成に勤しんでいる。本当に一年が早い。歳をとるわけだわ・・・
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