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作りたい!

自ら決めたはずなのに、それを破ってまでも作りたかったとあるケーキ。
この近辺では買えないので、何とか自分で、と頑張ったはいいが、やはり難しくて・・・

余った卵黄で作ったクッキーは美味しくできたのに、肝心のケーキの方は、お手本(?)とはかけ離れたデキに思わず頭を抱えたくなった。

敗因は概ね掴めたので、再チャレンジをするかどうか、それは私の胸先三寸と言ったところか。

まだまだ卵は残っている。やるなら今しかない(ん?)
あとはデコレーション用の生クリームと、ケーキを上手くジョイント(?)させるために必要なバタークリーム用に無塩バター、そしていちご。これらを買い揃えればいいのだが、果たしてモチベーションは残っているだろうか。

今回活躍してくれたのは100均のケーキ型。使い捨てで、非常に良いサイズ感にはこりゃしめたもの、と小躍りしたのだが、果たしてこちらもまだ残っているかしら?

作りたいものはまだまだある。フランクフルタークランツ、クロワッサン、湯種食パン、アメリカンドック(偶に無性に食べたくなる)、etc、etc・・・でも、材料費も光熱費もバカにならないし、それ以上に、作れば食べるし食べれば太るし。

・・・何だか、何度となく同じことを書いているぞ、私。
まあ、欲望と諸事情を天秤にかけて、バランスを考えながら少しずつ作っていきますかね。
ああ、食べても太らない体が欲しい。


元アイドル現ママタレ(?)が不倫報道に対して文字通り赤裸々、かつ淡々とコメントを出した。
所謂不貞行為を、ここまで書く?と問いたくなるくらい具体的に記した手書きのそれ、は実に生々しい。

コメンテーターの類の人たちも、何故?という顔をされていたが、あれ、って、彼女の意向だけなのかな?
配偶者とは関係修復の方向、らしいが、それでは何故訴訟を取り下げないのか。

彼女を晒し者にしたい、という夫の意向、あるいは、あそこまで書くことで夫を内心コキュ呼ばわりして溜飲を下げたい彼女の意向なのか、それとも単純に何も考えず事実を書こうとしたのか。いずれにしても第三者にはわかりえないし、正直わかる必要もわかりたいという興味もない。

ただ、心なんか離れてしまったらそうそう容易には戻らないものだから・・・なんて、所詮他人事だ。どうでもいいや。



さ、支度しよう。今日は午後からジムだ。

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その日があけて

敢えて昨日は書かなかったけれど、もう、8年も前のことなのか、あの震災は。

あの日は普通に職場でパソコンに向かっていて、そう、薄っすらと眠気を感じながら手を動かしていると急に足元がぐらついた。
「あ、地震」
・・・震度3くらいかな、と気にも留めずにいたが、その揺れはなかなか収まらない。

そのうち、船酔いのような状態になってきたのでたまりかねて立ち上がり、別室にいた家人のところへ行くと、その部屋で点いていたテレビを見ながら徐々に明らかになってくる大きな被害を知ることになった。

当時のエントリを読むと、当日のことを書く文章はまだどこか軽妙ですらあるのだが、以降、徐々にその内容は深刻さを増していく。

信じられない規模の被害。津波という巨大な「破壊装置」を前に、人間はなんと無力なのだろう。
そこにきて原発事故。自然と人工物とが近隣住民に大きな被害を与え、未だ多くの方たちが避難所生活を余儀なくされているし、行方不明の方も多くいる。

偶々、震源地はあそこだった、でも、次起きるだろう大地震の震源がここではないと誰が保証できる?

実際、私の住む町を巻き込むであろう地震の発生周期からすると、実はいつそれがおきてもおかしくはない状態にあるらしい、と昨年ニュース番組などで報じられているのを見た。
我が家や車の窓には、白く、塩が付着していることがある。それだけ海に近いのだ。
ましてや今住んでいる部屋は海岸からそれほど離れてはいないし、若干低地にあるから、あの震災の規模で地震が起き、津波が発生したら被害は間違いなくあるだろう。

・・・ちなみに、住めない我が家は内陸にあり、間違っても津波被害は出ない。でも、太平洋沿岸が壊滅状態になれば道内の流通事情は大きく変わるだろうから、生活には間違いなく支障を来たす。

事実、昨秋の胆振東部地震では道内全域ブラックアウト、というとんでもない被害が出て、道民は苫東の火力発電所が担っていた大きな役割と脆弱な送電システムを初めて目の当たりにして絶句した。

ちなみに、この火力発電所も当然のことながら太平洋沿岸にある。

日々の備えが大事、とはわかっていてもなかなかそれはできていないのが現実で、我が家でもせいぜいが水とカセットコンロ(とガス)、少しの缶詰くらいしか今は手元にない。
とりあえず携帯用トイレとか、もう少し非常食的なものは用意した方がよさそうだが・・・いつもふとしたときに思い出しては焦るけれど、いつの間にか忘れてしまう、これの繰り返し。それじゃだめじゃん。わかってはいる。いるけれど。

昨秋の地震で私の枕元に倒れてきた姿見は、実はまだ同じ場所にある。
でも、他に置き場所がないから・・・これがいけないんだろうなあ。考えます、いろいろなことと一緒に。

震災で亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りします。
そして被災地の復興が一日も早く成し遂げられますように。

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充実?

アイドルタレントが自らの美容整形を公表しているけれど、ビフォーアフターを比較したら驚くほど容貌が変わっていて、ああ、これなら手術は正解だなあ、と素直に思えた。

私も、自分の容姿が好きではない。
好き嫌いはさておき、多分、ここと、ここ、をこう直し(治し)たらきっと・・・と考えない人の方がむしろ少数派なのではないだろうか。

でもここまで歳を重ねると、それらウィークポイントを飛び越えて老化の進み具合が凄まじく、もうどこをどう、というレベルではない。

顔で言えば頬のたるみや目の周りの皺、毛穴の開き。体なら背中や腹のたるみ―贅肉、も確かに多少はあるけれど主にこれは皮膚の劣化が原因だ。
目の玉の飛び出るような金額を費やせば、これらは皆解消される悩みなのかもしれないが、当然のことながらそんな大金は持っていないし、仮にあったとしてもそこまではしたくない。だって、外見を全て変えてしまったら、それはもう私じゃない。

一応、歳を言うと驚かれはする。お世辞半分ではあろうけれど、多少は真実味も感じられるので多分、実年齢より少しは若く見えるのだろう。

やはり10キロ以上減量に成功したことは功を奏して(?)いるらしい。
着る物に関しては、標準サイズを着られるようになったことで以前よりお金もかからなくなったし、おしゃれもしやすくなった。
(つくづく、太っているとファッションを楽しめずお金もかかると今になって思い知らされた)
ウエストをマークした服装ができるのは嬉しい。腕もそこそこ露出できるし。

冒頭のタレントさんの輝くような笑顔を見ていたらこちらまで嬉しくなってしまった。
どうぞお幸せに。

最近はツイッターにばかりかまけていてFBもここも全くおろそかになってしまっている。
ジムで一緒になる方に、FBやってるの?と訊かれたが、そもそも数少ない友人にしか公開していない上に開店休業状態であることを正直に話したら関心をなくしたのか話しかけても来なくなってしまった。

その人のは公開されていて、なるほど、たくさん友人がいらっしゃるようだ。もしかしたらそれを増やしたくて声をかけたのかもしれない。
でも、日々何もなく漫然と生きている身からしてはそうそう書くこともなく、本当に書きたいことは、極端な話全世界に門戸を開いているFBやブログには書けない。

そう考えてみると、毎日のようにSNSを更新できる人って本当に充実した時間を生きていらっしゃるのだなあ、とある意味羨ましく思えてしまう。

もうFBはやめようかな。でもメッセンジャーだけで繋がっている人もいるから、残すだけ残して開店休業状態を維持(?)しよう。
ここは・・・偶に書きます。ってそもそももう見ている方もいないか。

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春なんて

日差しが春めいてきた。うすぼんやりと、これは春霞?などと思っていたら・・・PM2.5?!
なんだか一気に気分が滅入ってくる。
そもそも、楽しいこともなく、恒常的に滅入っているのだけれど(え?)

ローカル局の所謂街ブラ番組で、住めない我が家の周辺が取り上げられていてびっくり。
保存用に、と録画予約はしていたが、どうせあちら(どちら?)の方だろうとリアタイは洗い物をしながらだったのだが、泡だらけの手袋を脱ぎ捨て思わず見入ってしまった。

・・・気になっていたあの店やこの店だけじゃない。
まあ、ものすごーく近所、というわけではないけれど、エリア的には同じ。実際行ったことがある店もあったし、そして、ああ、こんなお店もあるのね、と新発見にちょっとワクワクしたのは言うまでもないが、正直、憂鬱でしかなかった新生活がほんの少しだけ楽しみに感じられたのは福音だった。

そう、CMじゃないけれど、文字通り「住み慣れた町」を離れる日が迫ってきているという実感が胸を締め付ける。
この町は、決して便利ではなく、行政サービスも含め町政も今ひとつだ。
それでも、愛着がないと言えばうそになる。友人らしき人もできたし、何よりも地の利、というか、小さい街だからこそ知り尽くしていると言っても過言ではない。

私は変化や新しいモノは好まない。だから、これから大きく変わるであろう自らの境遇が不安でたまらない。
一線から退く家人だって、多分そうだろう。あっちに行けば何もすることはなくなる。かと言って遊びまわれるほど潤沢な蓄えがあるわけでもないし、どうするつもりなんだろう。

必要な書類がないことに気づいた。どこかに仕舞いこんであるはずなのに、思い当たる場所にそれはなく、私の性格上絶対に廃棄することはありえないので、この狭い室内に必ずあるはずなのだ。だのに何故?

期日も迫っている。明日は予定があるので明後日、覚悟を決めて長距離ドライブでそれをもらいに行ってこよう。
あちらに行けば、交通量の多い道路を当たり前に運転しなければならなくなる。もう怖いなんて言っていられないから、これは予行演習と思えば乗り切れないこともない・・・大げさだけど。

変わりたくない。変化なんかいらない。ずっと同じ流れの中で穏やかにたゆたっていたいだけなのに。
来年の春が怖い。

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