その日があけて
敢えて昨日は書かなかったけれど、もう、8年も前のことなのか、あの震災は。
あの日は普通に職場でパソコンに向かっていて、そう、薄っすらと眠気を感じながら手を動かしていると急に足元がぐらついた。
「あ、地震」
・・・震度3くらいかな、と気にも留めずにいたが、その揺れはなかなか収まらない。
そのうち、船酔いのような状態になってきたのでたまりかねて立ち上がり、別室にいた家人のところへ行くと、その部屋で点いていたテレビを見ながら徐々に明らかになってくる大きな被害を知ることになった。
当時のエントリを読むと、当日のことを書く文章はまだどこか軽妙ですらあるのだが、以降、徐々にその内容は深刻さを増していく。
信じられない規模の被害。津波という巨大な「破壊装置」を前に、人間はなんと無力なのだろう。
そこにきて原発事故。自然と人工物とが近隣住民に大きな被害を与え、未だ多くの方たちが避難所生活を余儀なくされているし、行方不明の方も多くいる。
偶々、震源地はあそこだった、でも、次起きるだろう大地震の震源がここではないと誰が保証できる?
実際、私の住む町を巻き込むであろう地震の発生周期からすると、実はいつそれがおきてもおかしくはない状態にあるらしい、と昨年ニュース番組などで報じられているのを見た。
我が家や車の窓には、白く、塩が付着していることがある。それだけ海に近いのだ。
ましてや今住んでいる部屋は海岸からそれほど離れてはいないし、若干低地にあるから、あの震災の規模で地震が起き、津波が発生したら被害は間違いなくあるだろう。
・・・ちなみに、住めない我が家は内陸にあり、間違っても津波被害は出ない。でも、太平洋沿岸が壊滅状態になれば道内の流通事情は大きく変わるだろうから、生活には間違いなく支障を来たす。
事実、昨秋の胆振東部地震では道内全域ブラックアウト、というとんでもない被害が出て、道民は苫東の火力発電所が担っていた大きな役割と脆弱な送電システムを初めて目の当たりにして絶句した。
ちなみに、この火力発電所も当然のことながら太平洋沿岸にある。
日々の備えが大事、とはわかっていてもなかなかそれはできていないのが現実で、我が家でもせいぜいが水とカセットコンロ(とガス)、少しの缶詰くらいしか今は手元にない。
とりあえず携帯用トイレとか、もう少し非常食的なものは用意した方がよさそうだが・・・いつもふとしたときに思い出しては焦るけれど、いつの間にか忘れてしまう、これの繰り返し。それじゃだめじゃん。わかってはいる。いるけれど。
昨秋の地震で私の枕元に倒れてきた姿見は、実はまだ同じ場所にある。
でも、他に置き場所がないから・・・これがいけないんだろうなあ。考えます、いろいろなことと一緒に。
震災で亡くなられた方々に心からご冥福をお祈りします。
そして被災地の復興が一日も早く成し遂げられますように。
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