かぶってみたいガラスの仮面(?)

「ガラスの仮面」
・・・手を出すまいと思っていたのに、コミックスの43、44巻を買ってしまった。
えーい、もどかしい。
でもいろいろ調べたら、単行本と連載とはかなり乖離があるのだそうだ。
単行本に収録されていない(ボツになった?)エピソードが山のようにあり、それらが何故かタイムラグを経て最新刊に復活していたり、じゃ連載の意味ないじゃん、的な疑問を抱いてしまいましたよ。

先日、予想外の結末―未完成!―で終わることが決定した某大河小説(?)の轍を踏まないことを願うばかり。
本当に結末のシーンも決まっているなら、これはゼッタイに形にしてどこかに残して欲しい。
とにかく、二人の恋の行方と、紅天女・・・これは恐らくダブルキャストになると予想してるのでもうどうでもいいですが、そう、恋よ恋!lこれだけは落とし前をつけていただかないと、ねえ。
それにしても何故月影千草は気付かないの?あれほど洞察力に秀でている人がごく身近な二人の恋心を察知できないなんて不自然としか思えない。

某ファンサイトで結末予想を大胆にノベライズしていたので今しがた夢中になって読んでしまった。
―うん、いや、本家本元よりそれらしくて面白かったです。いやあ、これでいいと思うんだけど、ラストまで含めて。

ただ、コミックス40巻前後から急に画が荒れてきたし、キャラもこう何と言うかセリフや挙措がぞんざいになってきたような気がしてならない。
終わらせるためだけに描いているのなら、いっそ結末だけでいいかな・・・
今悩んでいるのは連載誌を買うかどうか。
だって何ヵ月後かには手がかなり入った状態で出る単行本があるわけで、それとの齟齬がむしろややこしくなってしまう、つまりそこで読んだ話が単行本に収録されなかったら話の繋がりなどがわかりづらくなってしまうのではないか、と。そんな危惧をどうしても拭いきれないのだ。

ホントに罪作り。
とりあえず45巻を待つことにします。雑誌は買わない。そうしよう。

今日は仕事が忙しい。月末なんだもんね、もう。

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果たして障害という名で括っていいものなのかどうか

某大規模書店で慌しく新刊本のコーナーを物色していたら、一冊の本が目に留まった。

「わたし、男子校出身です」

表紙カバーで微笑むのは若く、美しい女性の横顔。その本の著者である彼女を初めて見たのは、今年の5月、NHK教育テレビでオンエアされた「一期一会」という番組で、だった。
イチゴ(一期)さん…訪ねる若者、イチエ(一会)さん…“イチゴさん”を受け入れる現場の若者、だそうだが、生憎私がチャンネルを合わせた時には既に半分以上終わってしまっていて、私はイチエ嬢であるところの彼女のバックボーンなぞ全く知らないままその愛くるしさに心を惹かれた。

番組の内容は、全く化粧をしたことのない社会人2年生の女の子がようやく化粧に関心を持ち始めたもののその方法などがわからない。そこで雑誌などのモデル、つまり美の最前線にいる同世代の女性に出会い、新しい世界を知る、というもので、それは他愛もないものだったが、イチゴ嬢に比べいかにも芸名、という風情の華やかな名とその名に負けないイチエ嬢の美しさは心に焼き付いて離れなかった。

そのうち彼女はいろいろな番組に登場するようになり、雑誌などで性同一性障害により戸籍も含めて性転換を図った人と知ったが、そんなことが信じられないほど可憐で愛くるしい笑顔のシュガーコートからは一切ネガティヴな匂いは感じられなかったのだ。

何気なく手に取った本、開いて8ページ目から何気なく読み始めた文章がそのまま私をレジへと向かわせた。
そして、帰りの車の中、運転する家人を無視しつつ一気に読み始め…信じられないことに、ラストに近づくにつれ涙がこらえきれなくなってしまった。

私は偶々オンナの体に生まれたけれど、それが幸運であった、などと思ったことは今までにただの一度もない。
オトコの方がよかったよなあ、なんて冗談交じりに口にしたことが悔やまれるほど、彼女が今の彼女自身を手に入れるために闘った時間は過酷なものだった。

心とは「誤った」体で生きた21年間の、恐らく2倍、3倍以上の時間を女性として生きていく彼女-著者、椿姫彩菜さんのこれからの人生にたくさんの幸福がありますように。

(いや、ホントに若くて可愛い女性を見るのが好きなので単純に彼女のファンだったりもするのですが)

あー風邪引いたみたい。喉が痛いや・・・

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面白い本を読みました。

久々に、一気貫通、もとい、一気読みのできる本に出会った。
手っ取り早い(?)面白さとわかりやすい複雑さ(??)を求める私の嗜好にほどよくマッチしたこの一冊(上下巻なので実際は二冊ですが)。

名前探しの放課後」辻村深月著(講談社)
依田いつかは藤見高校に通う高校1年生。ある日、ふと気が付くと、そこはいつかの知る3か月前の世界だった。もとの世界で自殺してしまった生徒を救うべく、いつかは行動を始める……。

非常に綿密に計算し尽されているのは女性ならでは、と言っていいかもしれない。
乾くるみの「イニシエーションラブ」もそうだったけれど、読了してから気づくことが多々あり、私は図書館で借りたが、生憎上巻を返してから下巻を借りたため今臍をかんでいるところだ。あうううう。

文章は平易で読みやすい。言葉に溺れることもなく、淡々と進むストーリーは章毎に名作童話のタイトルが配されていて、それらが微妙に内容と溶け合っている。

えーと、ここから先はネタバレなので、これからこの本を読もうと思われた方は決してクリックなさらぬよう。

(で、↑をスルーされた方はどうぞ↓からお読みください)

腎機能不全の猫に飲ませていたコモンジュニパー(こちらのエントリですな)。
結局効果なし、どころか数値が悪化しちゃった。ということで今日から排除。勿体無い、なんて思ってしまうことのないよう、思い切って捨ててしまった。
こういうのって上手くいった試しがないや。フォルテコールだってダメだったし。
やはりこれまでの薬をこれまでどおりに飲ませることにした。それが一番いいみたい。
良くならないまでも、悪化させないよう頑張る。誓いを新たにした通院日でした。

続きを読む "面白い本を読みました。"

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長くてもいいんです、結果さえ出してくれるなら

ショックだ。

「グインサーガ」

ギネスブックにこそ申請されていない(しても認められていない?詳細不明、つか調べてません)が、単一の作者が書き続けている小説としては世界中探しても類を見ない超長編ヒロイック・ファンタジー。
第1巻が発行された1979年から今日までに119巻が発行されているが、そもそも全100巻という予定だったはずで、それが、恐らく作者の想像以上にキャラクターが立ちすぎてストーリー展開が膨らみすぎたのではないか、と私は想像しているのだが…
なんとなくおぼろげに終点はわかりつつも、いやいや、あんなメインキャラがあっさり亡くなるくらいなのだから、想像外の展開もあろう。これは最後を見届けるまで死ねない、とやくたいもない決心をしたのはいつのことだったか。
だが最終巻のタイトルが「豹頭王の花嫁」と公表されているが、果たしてこのタイトルが刊行されるか危ぶまれる事態に現在陥っているそうだ…作者が。

最新刊のあとがきに、至極あっさりと書かれていたのは、「下部胆管癌」…!?「5年生存率40%」…?!!
年明けには手術成功、無事退院されたそうだが、2月19日付けの日記を拝読して更に危機感は増した。
「すい臓癌」「5年生存率25%」…お願い。そんなにあっさり書かないで

作者さんご本人のことはあまりよく知らないし、恐らくそれほど熱狂的なファンでもない。
でも!!
グインに関してだけは落とし前を付けて欲しい。お願いだから。そのために、と言っては何ですが一生懸命快癒を祈ります。それくらいしかできないんだけど。

作者、栗本薫さんの著書で一番印象に残っているのが「キャバレー」。
映画化され当時好きだった役者さん、野村宏伸が主人公矢代俊一を演じたのだが、まるで当て書きなんじゃないの、と言いたくなるほどハマっていた。
滝川役の鹿賀武史は本と若干印象が違っていたけど英子の三原順子は意外によかったな。
続編「黄昏のローレライ」も俊一のその後を野村宏伸をアテながら夢中になって読んだっけ。
この続編で、彼は周囲からジーニアスと崇められ、その評価と自分とのギャップに苦しむ中、最大の崇拝者(?)滝川と更に深く繋がっていく。
滝川やその周辺がカタストロフィに向かっても結局俊一は天の与え給うた才のままに生きることを選択した。
…個人的には滝川に感情移入していたのでラストに関して不満がないわけではない。それでもこの本は好きだなあ。ただ映像化はもう無理だと思う。野村氏、歳取りすぎたもの。

栗本さんにはまだまだたくさん書いて欲しいけど、ううん、とりあえずグインだけでも書いて書いて書いてください。お願いします。お願いだから全快して!!

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治療島@このタイトルはいかがなものかと思うんだけど

その本を読み終えた時、私は自分が川上弘美でも児玉清でも、あるいは中江有里でもないことを呪った。
どうしたら、この読後感を言葉にできるのだろう。もどかしいったらない。

病院の待合室が混雑していたことをこれほど幸いと思ったことはなかった。
出掛けに何気なく手にしたのが、先週図書館で借りたこの本。
診察を待つ間に前半を読み終え、会計と投薬(医薬分業ではない病院なので)を待つ間に後半、更に駐車場に停めた車の中でエンディングを最後の一文字まで目で追い切ったのだが、そのまま暫くの間発進させることができなかった。

訳者(著者はドイツ人)のあとがきにもあるとおり、何をどう書いてもネタバレになってしまうという、至るところトラップとトリックと伏線だらけのお話は、二転三転してラスト、思いも寄らない帰結点に到達する。
かつて、かの名作「そして誰もいなくなった」のラスト、真犯人のモノローグを何故か読まずに本を閉じてしまい、母に教えられてそこを読むまでの数ヶ月間犯人がわからずにいたという大ボケをかましたことがあるのだが、この本もエピローグが重要だ。これを読まずに終えてしまうと全てが水泡と帰す。
いや、本当に驚いたし、全くといっていいほど思いも寄らなかった真実を目の前に突きつけられて突然現実に引き戻されたような、そんな気さえした幕引きだった。

「治療島」セバスチャン・フィツェック著/赤根洋子訳 柏書房 1500円(+税)
※ある日突然、精神科医の愛娘が消えた。その4年後にはじまる不気味な《治療》(帯から引用)

既に映画化が決まっているそうだ。
著者は放送関係の仕事をしている、とのプロフィールを見て納得した。確かに全てのシーンが文章から立体的に映像として浮かび上がってくる。
血の赤、猫の青、鈍色の海…主人公がとあるキーパーソンと対峙するシーンも、ディテールの一つ一つが鮮やかに脳裏へと浮かび、ページを繰る指がたたらを踏むように焦ってしまった。そう、早く先が読みたくて。

ただ、読後感はすっきりしない。
タイプで言えば、そう、野沢尚さんの作品に近いものを私は感じた。
絡んだ糸は解けたけれど、先端がちぎられていた、そんな感じ。

あまりに仕掛けが多いので、時間に追われないためにも購入してからじっくりと何度か繰り返して読むことをお薦めします。(私も買います)

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面白いけれど面白くない本@地下鉄(メトロ)に乗って出かけよう

「地下鉄(メトロ)に乗って」浅田次郎著(講談社文庫)

この方の著作はほとんど読んだことがありませんでした。
この本も映画化されたことは知っていましたが、キャスティングを見て魅力を感じなかった(ヒロインが特に)ので興味も引かれなかったですし。
ただ、地下鉄をきっかけに過去と現在と行き来する、というプロットだけ聞きかじってしまうと、地下鉄を通勤に10年以上使っていた身としては手にとらずにはいられなかったのです。

もっとほのぼのとしたファンタジーを想定して-読後に暖かな気持ちが訪れることを期待してしてたわけですが-読み進めていくうちに己が過ちに気付きました。

…ファンタジー?とんでもない。

かつて、同じように夢中になって読み進み、読了後全く今回と同じようにぞわぞわとした居心地の悪い気持ちを覚えさせてくれた本がありました。

「飛ぶ夢をしばらく見ない」

山田太一のこの本はオマージュとしてSSを書いてしまったほど私の中に強く根を張ってしまい、しばらくの間日常をどんよりとした心持で過ごさせてくれたっけ。

メトロ、も同じ。
オトナのファンタジー、と言えなくもないけれど終末を告げる残酷な事実には声も出ませんでした。

私、ハッピーエンドが好きなんだよな。
不幸じゃあないけれど幸せでもない。そんな宙ぶらりんの今をただただ泳いでいくのは本当に難しくて、活字やゲームで恐怖感や焦燥感を紛らわせている日々なのに、ああ、こんな本読むんじゃなかった。

本自体は実に面白かったです。
自分が今幸せであるとか、強い自己を持っているから引きこまれたりしないとか、そんな自信のある方はどうぞご一読を。

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山賊をご存知ですか?そして私が無神論者である理由

パンダと青年とのふれあいを描いたヒューマンファンタジー…というにはちょっと語弊がある(?)4コマ(概ね)漫画を掲載したサイトを立ち上げていらっしゃる方です。
何かを検索していて偶然ヒットしたサイトでこのパンダと青年に出会ったのですが、もう半ば呆然としながらあっという間にログを読破してしまいました。面白いんだものホントに。
で、この度その漫画たちが単行本化されたのでご紹介。くどいですがアフィリエイトはやってませんので、↓の画像をクリックしても何も起きません。

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「やさぐれぱんだ」アーティストハウスから現在絶賛発売中。お買い求めはお近くの書店またはオンラインブックサービスで。

正直コストパフォーマンスを字面の容積(?)に求める人には不向きです。でも空白の描き出す笑い、の存在価値を認められれば1200円の元は十分に取れるかと。いろいろうじゃうじゃ考えて悶々としている向きにはいっそここまでシンプルな笑いが救急薬になるやもしれません。
別に私は山賊さんとオンオフ通じて知り合いでもなければコンタクトを取ったこともありませんが、微力でもこの本の普及に寄与できれば、と今日は殊勝な気持ちのエントリだったりします。ぜひご一読を。

今日は1日に亡くなられた彼女の告別式に当たる会が執り行われるそうです。
行こうかどうか正直なところかなり迷ったのですが、見ず知らずの人間がいきなり行っても逆にご迷惑だろうと考え、それならむしろ四十九日を過ぎてからお花を携えて、事前にメールを差し上げてから伺おう、と決めました。
何だか家人も乗り気で、一緒に伺って手を合わせたい…ってこの人って時に突拍子もないこと言う。
取っている新聞の北海道版には、道内の所謂「お悔やみ」情報が掲載されていて、そこには葬儀の行われる場所と彼女の住所も明記されていましたのでそれを控えさせていただきました。
今後も存続されるという彼女のサイトの中でこれからも残されたお子さんやご主人、わんこ、にゃんこの生活を垣間見せていただくこともあろうかと思います。
とても健気な息子さんの書き込みを拝見して涙が溢れそうになりました。

ホントに神様ってのは何を考えているのかわからないしつくづく底意地が悪い。
彼女の棺の中は、それこそお顔以外隠れてしまうほど多数の折鶴でいっぱいだそうです。
ここまで多くの人から愛され、慈しまれた方を何故あの若さで連れて行ってしまわなければならないのか。
みもざだってそう。
これほど愛して、愛されて、他の誰からというわけでもないけれど私が誰よりも何よりも必要で大切な存在としていたのにたった8歳で逝ってしまった。
世の中には「このアホンダラ」と罵りたくなる悪人がほらテレビをつければたくさん登場してくるというのに、何故そいつらがのうのうと生きて、彼女やみもざやそれこそドラマのモデルになられた木藤さんのように健気で可憐な人が若くして逝ってしまわなければならないの?

…だから私は神を信じないんです。これってちっともおかしい理屈じゃないでしょ?

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「その日のまえに」@腫れた瞼と届かぬ思い

毎週楽しみに見ている番組に、もしも大嫌いなタレントがゲストで出演していたら?-迷わずチャンネルを替えます私は。
そう、まさに昨日がそう。大好きな「愛のエプロン」に大嫌いな女性占い師(もどき?)が現れて番組の雰囲気を一変させてくれやがりました。最悪。
どうにも我慢できずにリモコンを手に取ると、どこの局もろくな番組をオンエアしていない。
こういう日は大人しく家事でもするか、もしくは本でも読むか。

で、後者を選んだ私は、うさぎのように赤い目で花粉症患者のように鼻をすすりながらこれを書いています。
僅か1時間そこそこで読了したその本は。

「その日のまえに」(重松清著 文藝春秋刊 1500円)

図書館でも私の前に予約者が2人いたそうです。わかります。新聞などの書評でも概ね好意的に紹介されていたのは知っていましたから。
でも、読みたいと思ったのはそれら書評を見たからではありません。
書店で実物を見、何気なく手に取ったとき、帯に書かれたこの言葉に心をわしづかみにされました。
「神さまは意地悪だから、大切なひとを遠くへ連れ去ってしまう。」

みもざを喪ってから、幾度となく私は神を恨み、そしり、なじり、よりにもよってみもざを奪うというその理不尽な選択に憎しみさえ抱いたものです。
そう、神さまは意地悪。
どれほど愛しても、慈しんでも、それは何の免罪符にも防御にもならない。その選択に逆らうことは決してできやしない。

重松清さんは、これも図書館で借りた「なぎさの媚薬」で初めて触れた作家ですが、男性向け週刊誌で連載されていただけあって「なぎさ-」はきわどい性描写も多かったにも関わらず何故か素直に感情移入して読むことができました。
返す段になって初めて、「あ、ちょっとカウンターに返すの恥ずかしいかも」と気付き、返却ポストに入れたりしたのですが、別に恥ずかしがることでもなかったんですよね。重松ファンなら決して避けてとおらないはずの1冊なのですから。

主人公の妻が迎える「その日」を中心に、何の関連もなかったはずの数編のストーリーが絡み合ってひとつのラストシーンへと結びつく。
私がみもざのために流したいろいろな種類の涙と同じだけ、あるいはそれ以上の数の涙をこの1冊の本で見つけました。
夫を失う妻、妻を失う夫、友人を亡くした男、母を失おうとしている息子、そして母を失った子たち。
彼らを取り巻く暖かな傍観者も含めて特別な人は一人も登場しません。市井の、どこにでもいるような、そういう人たちのさり気ない感情が淡々と綴られているだけなのに、読んでいて何故こんなに惹き付けられるのだろう。

昨日までは恩田陸さんの本を読んでいたのですが、対照的なほどこの人の作品には「市井の人」は登場しません。
するすると滑るようにこなれた風情の文章によって描き出される眉目秀麗なヒロインやヒーロー、脇役にいたるまでその容姿は端麗であったり、秀でた能力を持っていたり、と重松文学とは程遠い、現実感を伴わないお話のオンパレード。
どちらも大団円や大どんでん返しなどがない、という点は似ているかもしれませんが、恩田さんが「そのお話の情景描写がしたいがために書くから結論は重要ではない」という印象を与えるのに対して、重松さんのそれは「周到に練られた必然的な結末」のために文章を積み上げている、そんな感想を抱かされました。

さて話を戻して。
妻を失った夫は四十九日を過ぎてから、彼女のターミナルケアを担当したナースさんに妻からの手紙を手渡されます。
その内容は…ネタバレになるので敢えて書きませんが、これも重く心に響きました。

みもざはどう思っているのだろう。
彼女を偲び、ほんの些細なことを引き金に悲しみに打ちひしがれさめざめと、時には声を上げて泣く私を彼女はどこかから見ているのだろうか。
もしそうなら、どんな思いで?…聞いてみたいけれどそれは叶わぬ夢。
忘れることなんかできやしません。忘れてほしいなんてきっとみもざも思っていないはず。そうだよね?

話はガラっと変わって。
今、デジカメが無性に欲しくてたまりません。
古~いソニーのサイバーショットと、ハンディカム(ヨン様仕様→あくまで偶然の選択です)、そしてデジタルではないEOS-KISS、があるのですがどれも帯に短し襷に長し。
というわけで、コンパクトで高性能なデジカメをとりあえず、そして経済的に余裕が出ればデジタル一眼を、と考えています。
ハンディカムはみもざを撮るため急遽購入したものですが、実際みもざがいなくなってからはほとんどビデオカメラとしての役割は果たさず、デジカメとしての用途が主。
そうなると画素数や機能に物足りなさを感じるのは言わずもがな、でやはり餅は餅屋なんですね。
機種はほぼ選定。今週末家電量販店で実物を見て決めようと思っています。
今からとても楽しみ。いい出会いがありますように。

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視力は少し落ちたかも

今年は雪が少ないね、などと暢気に夫と話していたら、どっかりと降ってくれて外は一面銀世界。
腰痛の身には凍った地面が大敵(これで転んだりしたら元の木阿弥。ようやくまともに歩けるようになったのに…)なので、発症してから約2週間、自力で外出していない。整骨院に週2~3回行くのも夫の送り迎えに頼っているため、買い物にも行ってない。したがってフラストレーションが溜まりに溜まり、イライラも最高潮、だ。
でも、安静にしていたおかげでかなりの数の本を読むことができた。
今さらこの歳で読むものでもないとは思いつつ、小夜子しか読んでなかった恩田陸。「Q&A」「夜のピクニック」他数冊を読破し、書評に釣られてつい手に取った乾くるみの「イニシエーションラブ」、「リピート」も侵食を忘れて一気読み。図子慧も読んだかな。
これらは全て、整骨院帰りの道すがら夫に頼んで寄ってもらった図書館で借りたもの。ひどい時は1日に3冊読了してしまうので、どれも何がなんやらわけわからん状態で記憶には一応残っている。
「イニシエーションラブ」はものの見事に引っかかりましたよ。でも、実はB面の冒頭でちょっとトリック(?)に気付きはしたんだ。まあそこを流してしまいまして結局「なんだよー!」と悔しくはなりましたが。
ただ「塔の断章」も「リピート」もしかり、だけど、この人、「仕掛ける」ことに絶大な自信を持っているんだろうな。
栗本薫が好きで、グインはもちろんほとんどの著作を読んでますが、彼女と恩田陸は文章が達者なので筆を滑らせることで書き足りなさを補ってしまっているという感がある。それに相対して乾さんは文章にそれほど傑出したものはないけれど、プロットを立てることに関しては抜きん出ていると思う。その分人物描写が深くないけど。
恩田、乾、両氏の本は新刊が出るたびに買うなり借りるなりして手に取ると思いますが、正直栗本薫はもう大道寺とグイン以外は読まないだろうと思う。
今の彼女は自分の才知と筆力に溺れてしまっているように思えてならない。って何を偉そうに。

hanapink

みもざは外に出たがった。
いびきがひどい夫と寝室を別にしているので、彼の寝室がある別棟へ連れて行け、と催促するのだ。
別に彼に会いたがっているわけではなく、そこに行けば他の猫がいないため私を独り占めできるから。
夫はいわば部屋のオブジェみたいなもので、いてもいなくてもその存在は全く無視。
彼女が亡くなってしばらくすると、カノンが同じようにドアを開けろ、外へ連れてけと催促するようになったから不思議だ。
でも、夫の部屋にはみもざの思い出がたくさんありすぎて、他の猫を連れて行きたくない。私自身あまり足を踏み入れたくないし。
日当たりのいいベッドの上に静かに香箱を組んでいる凛としたその姿も、夜の、落とした照明の下で別猫のようにはしゃいで私の顔に体に自分の全身をこすりつける子供みたいな仕草も、忘れない。忘れられない。
「リピート」…10ヶ月前にタイムスリップをし続けることに、あまり意味を見出せない、という感想をいくつかのブログなどで目にしたけれど、私に限って言えば幾度でもそれをしたい。
発病の前にこそたどり着けないけれど、繰り返せばそれだけみもざと一緒にいられるからね。

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